アラフォーおっさん談義と雑学豆知識を堪能する「どうすれば幸せになれるか科学的に考えてみた」

本書は、多方面で個性的な活動をしている変わったアナウンサーの吉田尚記氏と、東大医学部卒でハーバードの大学院を修了し予防医学等を研究する超エリート研究者の石川善樹氏が、「幸せ」について対談した本である。

基本的にはアラフォーのおっさん2人が幸せについて持論を披露し合っているだけなのだが、途中でちょいちょい出てくる石川氏の豆知識がなかなか面白い。

https://www.instagram.com/p/BZ3FXiBl--s/

ちょいちょい出てくる豆知識

感情のチェックリスト

石川氏は、以下のような感情の分類を紹介する。

ネガティブ:怒り、イライラ、悲しみ、恥、罪、不安/恐怖
ポジティブ:幸せ、誇り、安心、感謝、希望、驚き

このチェックリスト、実際にやってみるとけっこうおもしろいんです。自分が特定の感情に偏りがちなことがわかるので。(53頁)

感情は思考に影響するので、できるだけ偏らずに様々な感情を持つようにした方がいいというのが,石川氏の持論だ。たとえば、不安や恐怖を感じると冷静な思考ができるという。たしかに怒ったりイライラしたり、あるいは安心したり感謝したりしてばかりでは,冷静な思考はできなさそうだ。

自分でチェックリストをやってみても、たしかに偏っていることが分かる。
「怒り」「恥」「罪」などは、最近ほとんど感じたことがない。「誇り」「安心」「感謝」「希望」「驚き」も、ないかも知れない。ネガティブなものは「イライラ」か「不安」、ポジティブなものは「幸せ」か「希望」に偏っている気がする。もっと他の感情も持った方が、考え方のバリエーションも広がるかも知れない。
手始めに「恥」の感情を持つために恥ずかしいことをしてみようと思う。

元気があれば景気も良くなる

景気が悪くて人々の元気もない、というようなセリフについても、面白いうんちくが披露されている。経済が良くなれば元気になるのか、元気になれば経済が良くなるのか。常識的には前者のような気がするが、ところがどっこい、石川氏はこう言う。

そういう研究が実際あるんですよ。みんなが元気だから経済がよくなるのか、経済がいいからみんなが元気になるのか、という。結果としては完全に気分の方が最初だということがわかっています。まずは人が元気になる、そのあとで経済がついてくる。(47頁)

なんと、元気になれば経済が良くなることが、研究の結果としてすでに完全に明らかになっているというのだ。経済を良くするためにどうしたらよいかとあれやこれや考えていたのがバカみたいだ。経済を良くする方法を考えるのではなく、元気になる方法、元気にする方法を考えるべきだったのだ。

問いの設定自体が悪い

「自分は何がしたいんだろう」などと、答えのない問いをぐるぐる考えてしまう人も多いと思うが、そんな悩める人々に対するゴールデンアドバイスも本書では示されている。

自分って何がしたいんだっけ、と考えて何も浮かばないってことは、「問いの設定自体が悪い」可能性がある。僕ら科学者はアイデアが浮かばないとき、だいたい問いの設定が悪いって考えるんです。(159頁)

この発想はなかった。悩める人々もそうに違いない。でも、仕事など、自分自身以外の問題に対処する場合は、よくやっているかも知れない。そういう質問をするのが間違ってるよ、ということはよくある。自分自身についても同じアドバイスをすべきなのだ。

100年前はみんなIQ70

いきなり以下のような面白い話も出てくる。

実は人類の平均IQ(知能指数)ってけっこう上がってるんですよ。100年前の人たちのIQを現代の基準で判断すると,だいたい70くらい。今なら知的障害に分類されるかどうかという数値なんです。(180頁)

なんと!100年前はIQ70の人ばかりの世の中だったのだ。
想像してしまうと、もはや「昔はよかった」的なことは本気では言えない。
100年後から見た今もそういうふうに見られるのかも知れないけど、逆よりはずっといい。

世の中はどのようにでも見ることができる

石川氏は、世の中はどのようにでも見ることができるという。多様な見方をするための知識が大事で、「知は力なり」なのだ。
たとえば、「日本はもうダメだ」的な悲観論も、以下のように見ることだってできる。

日本の経済状況を測る指標といえばGDPが有名ですが,日本ってGDPは過去20年変わってないんですよ。ただ「経済複雑性指標」では世界一なんです。(196頁)

「経済複雑性指標」は、どれだけ多様なものを生み出しているかの指標であり,その国の中長期的な経済状況をもっとも反映するといわれているそうだ。それが世界一である日本は、中長期的な経済状況も世界一有望だともいえる。
1700年ころから江戸時代が終わるまでの150年間も、人口はほとんど変わっていないが、教育文化の質は高まっていて、これが明治以降の飛躍につながった。今もGDPは変わっていないが、質は高まっていて、同様に次の飛躍につながるのだ・・・と、こう解釈することもできるという。

こういうふうな様々な見方ができるようになるためにも、知識は大事だということのようだ。

幸せとは何なのか

本書には、もちろん、本題である「幸せ」についても、いろいろとタメになりそうなことが書かれている。
ただ、「どうやったら幸せになれるか」という話よりも、「そもそも幸せって何なのか」という話の方が多い。本当の問題はそれなのだということだろう。

「幸せ」に関して、石川氏は、「いつかこうなりたい」と幸せを先延ばしにするのはよろしくないと言う。

自分はどういう人間でありたいんだろう,ということを意識して普段から考えていないと,どんなに成功や栄光を手にしても幸せにはなれない。(150頁)

つまり,To be - 「こうなりたい」という欲望じゃなくて,自分がどのような状態でいたいか考えることが大事なんじゃないですかね。(151頁)

ちなみに、石川氏が研究する予防医学は「人がよりよく生きる」ことを研究するものだが、その研究のゴールも、「どうなる」ではなく、「どのような状態である」という形で設定されているようだ。

僕は「予防医学」-人がよりよく生きるためにどうすればいいのかを考える学問-を研究しているんですが,その究極のゴールは「朝ワクワクして目が覚めて,夜満ち足りた気持ちで眠れるか」なんです。(19頁)

問いの設定自体が悪かったのだ。「何になりたいか」と考えるのではなく、「どのような状態でいたいか」と考えるべきだったのだ。

また、石川氏は、本当にやりたいことは40才くらいにならなければ分からない、40才くらいでやりたいことが見えてきて、50才くらいで決意が固まるのだ、と言う。
ノーベル賞をとるような科学者も、コアとなる研究を始めるのはだいたい40才くらいだという。また、シリコンバレーでも、若者の企業は死屍累々だが、50才くらいの企業の方が成功率が高いという。

つまり40くらいにならないと,本当に何がやりたいかはわからない。(171頁)

アラフォーのみなさんはあせる必要はない。まだまだこれからなのだ。アラフォーのおっさん2人が言うんだから間違いない。

幸せについて考えたい方にも、豆知識が好きな方にもお勧め

このほかにも、本書には、人の意思決定の総量は限られている、とか、付き合いたい女性には将来の話だけをするべき、など、雑学というか豆知識みたいな話が、ちょいちょい出てくる。石川氏の知識の豊富さがひしひしと伝わってくる。
「幸せ」について真剣に考えている方にも、アラフォーのおっさん2人の幸せ談義をゆるく追いながらちょいちょい出てくる豆知識を楽しみたいという方にも、お勧めの本である。

 

 

未来を考える前提となる動かしがたい事実「未来の年表 ~人口減少日本でこれから起きること~」

数日前、朝、出勤してメールをチェックすると、「書評辞めちまえ!」的なアレなコメントが投稿されたという通知が届いていた。誰も読んでおらず、ぜんぜん更新もされず、むしろまだ辞めてなかったの?と言われても仕方のないようなこのブログに対して「辞めちまえ」とコメントするというツンデレな応援を受け、心機一転、もっと面白い本のことを書かなければという気持ちになった。
そこで、今年の必読書と言われているこの本について書こうと思った次第である。

https://www.instagram.com/p/BZk-2kUFjbN/

ほぼ確実な未来のカレンダー

この本は、題名のとおり、今後、日本で起きることを、時系列に沿って、体系的に記述した本である。2016年から2115年までの100年間に起きる出来事が「カレンダー」として記載されている。
今年の必読書と言われているらしい。

予測が難しい未来について独自の視点から予測したりするのではなく、特定のテーマに絞ってああだこうだ議論するのでもない。
人口予測に基づいて、今後起こることが冷静かつ客観的に記述されている。
人口の予測は確実性が高いと言われているので、この年表の内容も確実性が高いものと考えて良いようだ。

未来についてどのような議論するにしても、その前提として、本書に書かれてあることが出発点とされなければならない。だから必読書なのだろう。

高齢者がどっと増え、その後、人がいなくなる

「未来の年表」は、2016年、出生者数が100万人を切ったところから始まる。

その後、高齢者はどんどん増え、2024年には3人に1人が65歳以上となる。
これに伴って、認知症患者の人数もどんどん増える。

高齢者は亡くなるが、出生は増えないので、人口は減る。
2025年にはついに東京都でも人口が減り始める。
地方から百貨店が消える。
空き家が増える。
今いる人たちが年をとり、加速度的に高齢者が増えた後、その人たちがいなくなると、あとには誰もいなくなるのだ。

2050年には、なんと、現在人が住んでいる場所のうち20%は人がいなくなり、60%以上は人口が今の半分以下になるという。
今あなたが住んでいる場所も、人口が半分になる程度の減少で済めばまだマシな方なのだ。
そして、2115年には、5055万5000人まで減る。

本書では、さらに、人がいなくなった地域で、入れ替わりに外国人が増える可能性も指摘されている。

本書の後半では、このような未来の年表を踏まえて、日本が採るべき対策として、「日本を救う10の処方箋」が提案されているので、ご覧いただきたい。

今後を考える

動かしがたい事実

数年前まで、人口は増え続け、都市は広がり続けてきた。
今、それがストップした。
人口増が再開することはない。
今後は、今いる人たちが年をとり、そしていなくなる。
今いる人たちがみんないなくなったら、人口5000万人の日本が待っている。
それが動かしがたい事実なのだということを本書は認識させてくれる。

この動かしがたい事実は動かしがたい事実として受け入れた上で、考える必要があるようだ。

人口が増え、都市が広がり続けることを「良し」と考えるのであればこれは悲劇であるが、今後の人生を泣きべそかいて生きるのはイヤなので、ポジティブに考えたい。

人が減り、都市が縮小し、空き家が増える。
ということは、郊外の家なんかそのうちタダ同然で手に入るに違いない。
今から郊外の家なんか買ってはならない。

高齢

当面は、高齢者が増える。
認知症も増える。
となると、高齢者向け事業、認知症の患者のための事業は安泰に違いない。

葬儀・相続

亡くなる人も増える。
本書によると、2039年には死亡者数がピークを迎え、深刻な火葬場不足が見込まれるそうだ。
葬儀・相続関係はまだまだ忙しくなるに違いない。

外国人

在日外国人は増えそうだ。
どれくらい増えるかは政治的な意思決定が絡むので予測が困難だが、今でもなし崩し的に増えている。
今後、急激に増えるかゆるやかに増えるかは分からないが、いずれにしても増え続けることは間違いなさそうだ。

今年の必読書

このように、本書は、今後を考えるための大前提として把握する必要のある確実性の高い未来の出来事を、改めて冷静かつ客観的に理解させてくれる本である。
あなたがまだまだ生きる予定の日本人であれば、本書は本当に今年の必読書である。

 

 

 

無敵の男ひろゆき氏の生き様を惜しみなく披露する 「無敵の思考」

この本は,ひろゆき氏の生き様を説明する本である。お金や人づきあいなどに関するひろゆき氏の生き様がテンポ良く語られている。

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生活のランニングコストが自由を奪う

著者は,生活のランニングコストを上げないよう警告する。生活のランニングコストを上げてしまうと,自由が奪われるからだ。

生活を続けるお金,つまりランニングコストが高いと,そもそも,「仕事を辞める」という選択肢がなくなってしまいます。すると,どんなにイヤなことがあっても,「言われたことはちゃんとやらなきゃいけない」というマインドセットになります。
これが別に,生活レベルが低ければ,「じゃあ辞めるわ」と言って簡単に会社を辞めて,他の仕事を始めたりできます。
でも,社会人になってランニングコストを必要以上に上げてしまった結果,楽しむためではなく,その上がったランニングコストを維持するために時間を使い続ける人が多いのです。(7頁)

自分を顧みても,周りを見ても,確かにそのとおりだ。

しかも,一度上げてしまった生活水準を下げるのは非常に難しい。
収入が激減しているのに生活レベルを下げることができず,破産してしまう人すら多くいる。
家賃5万円の部屋から家賃10万円の部屋に引っ越すのは楽しいが,家賃10万円の部屋から家賃5万円の部屋に引っ越すのは心理的に非常に難しい。
恐ろしいことだ。
こんなことになるくらいなら,著者が言うように,収入が上がっても家賃5万円の部屋に住み続け,残りの5万円は別のことに使った方がいい。

著者は,経験から,最低月5万円あれば生きていけると感得しているという。
月5万円なら大学生のアルバイト程度でも何とかなる。
だから,嫌な仕事を続ける必要はないのだ。

これは,考え方の問題である。
そのように考えれば,そのような状態になる,という話だ。
今すぐそのように考えるだけでよいのだ。

高いものはダメージもでかい

著者は,高級時計を買わない理由について,このように言う。

それに,200万円の時計を腕に巻くことの優越感みたいなものはあるかもしれないのですが,万が一,落としたり傷つけたりしてしまったら,そのダメージはかなり大きいと思います。(175頁)

これもまたそのとおりだ。

先日,自分も旅行先で原付に乗っていた際に転んで腕時計にキズが付いてしまった。高いものではないので全く心理的なダメージはなかったが,これが自動車と同じくらいの値段がするような腕時計だったら,心理的ダメージは相当大きかったに違いない。
自分の腕時計はいつも小さなキズがあるし,携帯電話もいつもキズが付いてしまう。自動車もそうだ。何でもそうだ。キズを付けないように生活するなんてできない。
高い腕時計を買っても自分なら必ず傷を付けたり壊したりしてしまう。わざわざ自分の心理的ダメージを大きくするために高いお金を払うのはナンセンスだ。

迷うエネルギーが無駄

著者は,なにごとも情報を入手して選択をするのはかなりのエネルギーを要するため,選択肢を減らすよう努めているという。それによってストレスの少ない生活ができるというのだ。

たとえば,食事に行くとメニューを見て食べるものを決めるわけですが,それだって面倒なことです。なので僕は,自分で払うときは一番安い料理を見つけて,それでよさそうだったらそれを,それがイヤだったら2番目に安いものを探すという感じで,機械的に決めています。つまり,選択肢を無意識に減らす生活をしています。(24頁)

この発想はなかった。
値段が安い順に検討するというのが面白いし,「それでよさそうだったら」それにする,というのも面白い。

迷うエネルギーが無駄なのは確かだ。
例えば,自分も,出張の際の航空券やホテルを選び始めると,あっという間に時間が経ってしまう。
なので,東京出張の場合はこの航空会社の便でこのホテルと決めてしまっている。
定番やルールを決めてしまうというのは,とても良いことだ。

人づきあい

意外な人づきあい観

自由で個性の強い著者だが,意外にも,人づきあいに関してはその自由や個性を抑えているようだ。
先輩の言うことにはとりあえず従う,体育会系の人には体育会系のノリで体育会系のルールに従って接する,感情的な人には異論を言わず逆らわないようにする,など,経験から得た処世術のようなものが多く述べられている。色々と嫌な経験をしたことが窺われる。

また,女性と仕事をする際には一定の距離を置くという。

性コミュニティを敵に回してうまくいった人を,僕は見たことがありません。(51頁)

確かにそのとおりかも知れない。

「先生」という呼び方

また,意外にも,「先生」との呼び方に関して,著者は自分と同じ考えであった。

僕ははじめ,弁護士に「先生」を付けるのが嫌でした。別に,対等な立場と思っていましたからね。
ただ,年上の言うことを聞くのと同じで,実は「先生」を付けて呼ぶことには,何のデメリットもないと気づいたんです。しかも,それで相手が気をよくします。
けれど,もし「先生」を付けないと,中には気を悪くする人に出くわすかもしれません。「えらい」と言われているカテゴリーの人には,そういう地雷が発生する確率が高かったりします。
それがどの人かわかりませんから,「じゃあ全員,とりあえず先生って呼んどけばいい」というのが無敵の状態なわけです。(46頁)

弁護士とか,医者とか,先生と呼ばれる人たちの中には,たしかに,超個性的な人が多く,地雷を踏む確率が高い。
弁護士に「先生」と付けることに関して持論のある人は多いが,尊敬しているかとか立場が上なのかとかそういうことは自分としてはどうでも良いけれども,もし「先生」と付けずに「さん」と呼んで,怒られたり,気分を害されたり,失礼だと思われたりしたら,損だ。
著者の言うとおり,誰でもとりあえず先生と呼んでおけば無敵なのだ。

見たいものを見て,考えたいことを考える

見たいものを見たいように見る

著者は,見たいものを見たいように見て,考えたいことを考えたいように考えているようだ。
見たいものを見たいように見るためには,視力は良くない方がいいという。

目が悪いことでトクをすることはまだまだあります。
たまにメガネをかけると,それまでは「キレイだ」と思っていた女性が,そんなにキレイじゃないという悲しい現実に気づくことがあります。
現実がわかったほうがいいという人もいるかもしれませんが,自分のまわりの人が美人だらけだと思い込んでいたほうが,絶対に人生は楽しいはずです。(98頁)

考えたいことを考えたいように考える

また,考えたいことを考えたいように考えるためには,考えたくないことを忘れることが重要だ。
著者は記憶力が悪いというが,その方がストレスが少ないという。

僕が3日で忘れてしまうことを,1年も覚え続ける人は,それだけで100倍以上のストレスを受けています。(91頁)

禅の発想と同じだ。嫌なことを反芻して何度も再体験する必要は無い。
忘れる能力は,楽に生きるために重要なスキルなのだ。

イヤなものも好きになればイヤなものが減る

イヤなものについても,好きになればイヤなものじゃなくなるじゃないか,という発想で,好きになろうと試みる。

そういうわけで,「イヤなものが好きになる」という自己暗示が,たまに成功することがあります。 だから,すごくイヤなことでも積極的にやってみるとイヤじゃなくなって幸せに生きられるというわけです。(78頁)

素晴らしいポリシーだ。

衝撃の結末

このようにして本書では著者の生き様が語られているわけだが,巻末の「おわりに」で,面白い一文に出会うことができる。

とはいえ,この本は編集者の種岡健さんに,過去に書いたことや話したことをまとめていただいただけなので,ちゃんと自分で書いたのは,「おわりに」だけなんですけどね。(207頁)

これも,このような「おわりに」を書くのも,著者の生き様なのだ。

生き様

このように,この本は,全体を通じて著者の生き様を語っている。 自分の生き様に迷っている人にお勧めである。

 

 

作家が体験した裁判所あるある・弁護士あるあるのオンパレード 「臆病者のための裁判入門」

本書は、作家の橘玲氏が日本の一般的な少額民事裁判を体験したレポートである。
その内容は、裁判所あるある・弁護士あるあるのオンパレードである。

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事件の内容

著者は、知人のオーストラリア人であるトムの裁判を手助けする。
事案の概要は以下のようなものであった。

トムは、知人の新井さんのバイクを借りて運転していたところ、自動車に衝突された。
トムにケガはなく、損害は携帯品の破損など物損のみで、損害額は15万円であった。

新井さんの契約する損保会社がA損保。事故の相手方の保険会社はT海上。
A損保とT海上で示談交渉が行われていたが、なかなか話が進まない。
そこで、著者が、トムに代わって、A損保に事情を聞いてみる。

A損保の担当者である栗本の説明によると、「T海上とは過失割合8:2で合意しているが、相手方本人が非を認めず、揉めている」とのことであった。
しかし、著者が不審に思って、相手方保険会社であるT海上に直接聞いてみると、過失割合で揉めてなどおらず、事故直後に自損自弁で終了したという。

A損保の担当者である栗本がトムに嘘の説明をしていたのだ。

トムと著者は、栗本が嘘をついていたのは明らかにおかしいと主張して、慰謝料の支払を求める。
しかし、A損保担当者の栗本は、非を認めない。
栗本が非を認めないので、A損保も対応しない。
A損保は、トムに対して損害額15万円の8割である12万円はの保険金は払うが、その他には何も払えないという。

一見、理不尽に見えるA損保の対応にも理由があった。あらゆる紛争を法に基づいて解決しようとする法化社会では、ルール化されていないお金を払うには司法の判断が必要なのだ。(41頁)

ここで著者はひらめくのだ。

だがここで、私にはひとつの疑問が生まれた。世の中には私たちと同じように、少額だけれど理不尽なトラブルを抱えて困っているひとがたくさんいるはずだ。法化社会では地域のボスやヤクザに頼んで紛争を解決することはできず、「正義」の実現は司法に頼るしかない。だったら、それはどのようにして可能なのだろうか。
私のアイデアは、たんなる一市民がこの問題に対処しようとしたらどうなるのか試してみる、というものだった。(43頁)

「弁護士あるある」「裁判所あるある」のオンパレード

その後の経緯として書かれている内容は、「弁護士あるある」「裁判所あるある」のオンパレードだ。しかし、この「あるある」が利用者側の目線から冷静に記述されているものを見ることはほとんどない。
その意味でこの本は貴重な本である。

著者らは、まず、弁護士会の法律相談センターに行く。
不法行為による損害賠償請求という構成が可能だろうとのアドバイスを受ける。

もっとも、訴外で請求しても払ってくることはないので、その後の手続についてアドバイスを受けるため、法テラスの無料法律相談を受ける。
そこで、調停なら簡単にできるから調停がいいよとアドバイスを受ける。

著者らは、アドバイスに従って、東京簡裁に民事調停を申し立てる。
1回目の調停期日で、調停委員が、双方に対し、10~20万円の解決金による解決の検討を求める。
しかし、相手方は応じられないということで、2回目の調停期日で不調に終わる。

その後、訴訟を提起するために再び法テラスの相談を受ける。
その際、弁護士から、「請求金額が低すぎて弁護士は受けられない、どうしてもやりたいなら自分でやれば」と言われる。

少額訴訟が原則1回で審理を終えると知り、簡裁に少額訴訟の訴状を持って行く。
しかし、受付で、「これは少額訴訟には適さないので通常訴訟で提起してください」と言われる。

そこで、簡裁に通常訴訟の訴状を持って行く。
すると、受付で、「これは簡裁では扱えないので地裁に提訴しろ」と言われる。
事物管轄は満たしているが、内容が難しいから簡裁では扱えないというのだ。

そこで、地裁に訴状を出す。
すると、書記官から連絡があり、1週間後に裁判所に呼び出される。
そして、書記官から、「弁護士をつけろ」と言われる。
著者が、「弁護士から、引き受ける弁護士なんかいないと言われた」と説明する。
すると、裁判官と話してくださいと言われ、部長が登場する。
部長は、「簡裁への移送の上申を付けて訴状を再提出しろ」と言う。
著者が言われたとおりにすると、事件は簡裁に移送される。

ところが、簡裁での第1回目の口頭弁論期日に出頭すると、裁判官から、「本件は地裁に移送します」と言われる。
難しい事件だからどうしても簡裁では扱えないというのだ。

簡裁判事の現実を知った著者の感想はこうだ。

だが事実、簡裁判事は司法の世界の“二級市民”だった。司法試験を通っていない彼らは、裁判の実務には詳しいが、法律の条文を解釈して判決を下すことに慣れていない。「こんな複雑な事件は無理なんですよ」という自虐的な発言は、彼らにすれば当然のことだったのだ。(87頁)

そうして地裁に移送されて、最初とは別の民事部に配属になる。
すると、また書記官から呼び出され、「なぜ弁護士をつけないのか」と言われる。
同じ説明をし、何とか地裁で手続を進めてもらう。

第1回目の期日に出頭したところ、裁判官の主導で和解協議が行われる。
しかし、A損保は支払に応じないので、判決に至る。

敗訴判決だった。

著者は、敗訴はやむを得ないと理解しつつ、理由に納得できないという。
判決では、争点となっていなかった部分で不意打ちの事実認定をくらっていたのだ。
知人の弁護士に相談し、裁判所の判決の現実を知る。

「なるほど、ここで揚げ足をとられたんですね」
彼によると、判決文というのは最初に結論があって、それに合わせてつじつまを合わせていくものだという。裁判所は、つねに揚げ足をとる機会を狙っている。その隙を見せないように論証することが、弁護士の腕の見せどころなのだ。
そういわれてみれば、たしかにこの判決文はとてもよく理解できる。しかし、これでほんとうにいいのか。(109頁)

だが私たちはあまりにも素人だったので、「法律の世界では、相手が嘘をつくことを前提として行動しなくてはならない」ということにまったく気がつかなかった。(115頁)

著者は、今度は弁護士に依頼して控訴する。
そして、ここにきてついに、高裁の裁判官が、ようやく、まともなことを言うのだ。

トムの損害を賠償する義務があるのは事故の相手方なのだから、12万円を請求する相手方はA損保ではなく、T海上でしょ。だったら、A損保の担当者が何を言おうが、関係ないでしょ。

最初からあらぬ方向に進んで時間を無駄にしていたのだ。著者の目的からすれば著者にとっては無駄ではないかもしれないが。
しかし、最初の段階で専門家にきちんと頼んでよく考えてもらうことがどれだけ大事か、身に染みる。
間違った方向に苦労して進んでも、間違った場所にたどり着くだけなのだ。

高裁の裁判官は、常識力を発揮して、和解をまとめる。
A損保はそもそもトムから請求を受ける立場にはないものの、被保険者であるトムに対して不正確な説明をした責任もあるし、トムがT海上に対する請求をこれからするにしても消滅時効期間経過前に間に合うかどうか分からず、トムに損害が発生する可能性もある。そこで、A損保がトムに一定の金額を払うとの和解案を提示する。

そうして、A損保がトムに対して20万円を支払うとの和解が成立するのだ。

本書で、著者は、弁護士や裁判所をまったく責めていない。しかし、この経緯に出てくる関係した弁護士、裁判官、書記官、みんなに反省すべき点がありそうだ。

素人が法律を理解することがいかに難しいか

このような民事裁判の経験を通じた著者の考察は鋭い。

民事訴訟を扱う裁判官の大きな負担になっているのが、日本に特有の本人訴訟の多さであることは間違いない。これについては裁判所と弁護士の認識は共通で、法律的な主張を構成できないばかりか、証拠の整理すら満足にできない素人が民事裁判を混乱に陥れていると考えている。(216頁)

著者は明らかにインテリだが、そんな著者でも、著書にこんなことを書いてしまう。

トムの事故の相手方の車はマセラティで、損害額は250万円だったそうだ。
過失割合が8:2なので、トムの負担は2割の50万円となる。
だから、自損自弁にした方がトムにとっても得だった可能性がある。
しかし、トム自身がこの2割を自己負担しなくてもいいなら、話は違ってくる。

保険金を請求して相手方の損害を負担することになれば、トムはマセラティのドライバーに50万円(修理代金250万円の2割)を払わなければならない。だがこれは搭乗者傷害保険でカバーされるから、実際にはA損保が肩代わりしてくれる(トムの負担にはならない)。(99頁)

ここでいう「搭乗者傷害保険」は、どう考えても「搭乗者傷害保険」ではなく「対物賠償保険」のことだ。
著者ほどのレベルの人でも、こう書いたまま、訂正されずに出版されてしまうのだ。
新聞でもTVでも、法律を理解していない報道というのは多い。
法律というのは、なぜか分からないが、扱うのに一定の訓練が必要で、知的レベルが高ければ素人でも正確に理解できるという種類のものではないのだ。

紛争は当事者同士では解決できない

著者の考察は本当に鋭い。
特に、以下の言葉は真実を現していると思う。

紛争は当事者同士では解決できない

紛争が起きたときに、これまでは共同体による調整で解決していたことも多かったが、これが困難になった結果、もはや法による解決しか方法がなくなっているという。
法による解決の方が解決しやすいかというと、そんなことはない。

だがコンプライアンス化は無条件に素晴らしいものではなく、「共同体」から「法」へ問題解決のルールが変わったからといってトラブルが解決しやすくなったわけではない。(148頁)

そうして、本書では、法的解決の方法として、民事調停、訴訟、各種ADRなどが紹介される。

訴訟件数が増えないのは執行手続の欠陥があるから

著者は、本当に鋭い。
一般にはあまり知られていない問題点をいとも簡単に突き止める。

法テラスや少額訴訟などで司法サービスへのアクセスを改善しても訴訟件数が増えないのは、強制執行の欠陥などで判決に実効性がないことが見透かされているからだ。(214頁)

何億円の敗訴判決をくらっても、自己の財産が特定されなければ何の不都合もない。
絶対に何とかしなければならない課題である。

相談者からみた法律相談

法律相談に関する著者の感想は大変貴重だ。
一定の知的レベルにある人が、冷静な視点から、相談者の側から見た法律相談について記載しているものは、なかなか見当たらない。

ここで、利用者の立場から法律相談についての感想を述べておきたい。
弁護士ウシジマくんのように、法律家は紛争をコストパフォーマンス(費用対効果)で考えるよう訓練されている。3万円の貸金を取り立てるのに10万円の着手金を払ったのでは割に合わないから、これは当然のことだ。
しかしこのことを、相談者はおうおうにして「泣き寝入りしろ」といわれたと感じる。これが法律相談に対する不満にもつながっているのだろうが、その背景には相談者の司法に対する過大な期待がある。(157頁)

そうして、著者は、自身のエピソードを紹介する。

著者が通っている整体院が税務調査を受け、ある費用の経費性が問題となったそうだ。
その調査官の態度が大変横柄で、整体師に対し、「屁理屈なんてこねてないでさっさと追加で税金10万円払って終わりにしろ!税務署と揉めてもロクなことないぞ!」などと言い続けたという。

整体師は、お客さんの弁護士に相談したところ、弁護士は、「1日の売上が10万円なら、たった1日分の売上程度の話なんだから、そんなものはさっさと払って忘れてしまって、仕事に専念したほうがいいんじゃないの」と答えた。

しかし、その整体師は納得できない。
その整体師は、税務署とのやりとりをすべて録音しているという。

整体師から相談を受けた著者は、所轄の税務署長宛に手紙を書くよう勧めた。
整体師は、著者のアドバイスに従って、録音テープを添えて、税務署長に丁寧な抗議の手紙を送った。

するとどうなったか。

その結果、税務調査は打ち切りになってしまった(当然、追徴額を払う必要はない)。(160頁)

こういうアドバイスも大事なのかもしれない。大事なのは、目的を達成できるかどうかであり、法的手続をとるかどうかは関係ないのだ。法的なアドバイスではないとしても、それで目的を達成できる可能性があるのであれば、十分価値のあるアドバイスだ。

「お金の問題じゃないんです!」という相談者は弁護士からみれば危険だけれども、事実、お金の問題じゃないときもある。考えさせられるところである。

利用者の視点からの民事裁判

このように、本書は、著者が一市民として民事裁判を利用した体験記である。
著者は知的レベルが高く、事件に著者自身の利害関係が大きく絡んでいるわけでもなく、なおかつ、法律には素人である。そのため、利用者としての感想が、冷静で客観的に書かれており、非常に貴重な本である。
紛争を抱えて民事裁判を考えている人にも、司法関係者にも、おすすめの本である。

 

 

改善したければ失敗を責めるな!あえて失敗しろ!「失敗の科学」

この本は、失敗の効用についての本である。試行錯誤、トライアンドエラー、PCDAといった言葉が当てはまるような失敗と改善の繰り返しが、いかに効果的なものであるかを教えてくれる本である。翻訳者が上手なのか、翻訳本であるにも関わらず、文章がとてもわかりやすく読みやすい。

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改善するには失敗するしかない

航空業界の事故率は非常に低く、飛行機が非常に安全だというのはよく知られている。これは、失敗を隠さず、失敗に向き合い、改善する、という作業を繰り返してきた結果だという。
なにごとも、改善するには失敗するしかなく、場合によっては改善するためにわざと失敗を繰り返す必要があるという。

ビジネスや政治の世界でも,日常生活でも,基本的な仕組みは同じだ。我々が進化を遂げて成功するカギは,「失敗とどう向き合うか」にある。(17頁)

理論もへったくれもない!失敗しろ!

ホットドッグの早食い競争で驚異的な結果を出していることで有名な小林猛氏も、特別な身体的特徴があるわけではなく、単に試行錯誤を繰り返した結果、このような結果を出せるようになったという。

そこで、パンを水につけてみた。水の温度を変えたり、水の中に植物油を数滴混ぜたりもした。その間、彼は自分のトレーニングの様子を録画し、データをとり、さらに少しずつ違う方法を試した。全速力で一気に食べたり、ペース配分したり、ラストスパートをかけたりもしてみた。
さまざまな噛み方や飲み込み方、食べたものが胃に入りやすいように(そして吐かずに済むように)腰を揺らす方法も考えた。こうして小林は、小さな仮説をひとつずつ丁寧に検証していった。(234頁)

トライアンドエラーは、自然界の適者生存とも共通する法則のようだ。
ユニリーバのエピソードは、トライアンドエラーの効果を確信させてくれる。

ユニリーバは、洗濯用洗剤の製造工場で使用しているノズルがすぐに目詰まりを起こすことに悩み、一流の数学者チームに改善を依頼した。
数学者チームは、専門知識を駆使して徹底的に調べ上げ、複雑な計算式を数々導き出して、長年の研究を重ねた結果、ひとつのノズルのデザインにたどり着いた。

しかしながら、結果は失敗。
目詰まりはまったく改善しなかったという。

その後、ユニリーバは、ダメもとで、生物学者チームにノズルの改善を依頼した。
生物学者チームは、まず、目詰まりするノズルを10個用意し、それぞれにわずかな変更を加えた上で、違いをテストした。
そのなかで、わずかにではあるが一番良い結果が出たノズルを1つを採用し、これに対してまたわずかな変更を加えたものを10種類用意し、違いをテストする。
またそのなかでわずかにではあるが一番良い結果を出したノズルを採用し、これに対してさらにまたわずかな変更を加えたものを10種類用意し、違いをテストする。
これを繰り返したのだ。

こうして45世代のモデルと449回の失敗を経て、チームは「これだ!」というノズルにたどり着いた。(150頁)

最終的に出来上がったノズルは、どんな数学者も予測し得ない形をしていた。(150頁)

理論もへったくれもなく愚直にトライアンドエラーを繰り返すことによって、最適なものにたどり着くことができるのだ。
悩んでいる時間があったら直ちにトライアンドエラーを始めるべきということのようだ。

確証バイアスがトライアンドエラーを排斥する

仮説を支持する情報ばかりを集めてしまい、反証する情報を無視してしまう心理的傾向のことを、「確証バイアス」というらしい。
トライアンドエラーの効用は明らかだが、確証バイアスは、トライアンドエラーを排斥し、正解を遠ざける。
その例として挙げられているクイズの話が面白い。

このクイズは、「2、4、6」という3つの数字を見て、どのようなルールで並んでいるかを当てる、というものである。解答者は、3つの数字を言うと、それが同じルールに沿っているかどうか教えてもらうことができ、これは何度でも聞ける。

たいていの人は、「偶数が昇順に並んでいる」と思ったら、「10、12、14」が同じルールに沿っているかどうか聞く。
それが同じルールに沿っていると言われたら、今度は、「100、102、104」を聞く。
このように、同じルールに沿っていると思う3つの数字を聞いてみて、それが同じルールに沿っていると言われる、ということを何回か繰り返し、偶数が昇順に並んでいるのだという確信に至るのだ。

しかしながら、実は、ルールは、単に「数字が昇順に並んでいる」というものだったらどうか。昇順に並んだ3つの偶数をいくら聞いてみてもルールに沿っていると言われるので、正解にはたどり着かない。

このクイズに正解するには、わざと間違えるしかないそうだ。
「偶数が昇順に並んでいる」と思ったら、仮説に当てはまる「10、12、14」を聞くのではなく、仮説に当てはまらない「2、4、5」を聞く。
そうすると、これもルールに沿っていると言われるので、「偶数が昇順に並んでいる」という仮説が間違っていたことがあっという間に分かる。
「じゃあ1桁の数字が昇順に並んでいるだけなのかな」と思ったら、「10、12、14」を聞いてみる。
そうすると、これもルールに沿っていると言われるので、「1桁の数字が昇順に並んでいる」という仮説も間違っていることが分かる。
こうして、わざと間違えることによって、正解に近づいていくことができるのだ。
仮説に当てはまる数字ばかりあげていたら、いつまでも正解にたどり着けない。

進んで失敗する意志がない限り、このルールを見つけ出す可能性はまずない。…失敗をすることは、正解を導き出すのに一番手っ取り早い方法というばかりでなく、今回のように唯一の方法であることも珍しくない。(130頁)

認知的不協和が失敗を認めさせない

認知的不協和」は、自分の信念と事実とが矛盾していることによって生じる不快感やストレス状態のことだそうだ。
人は誰もが、自分は正しいと信じている。そのため、自分の信念に反する事実が出てくると、ストレス状態に陥る。

そんな状態に陥ったときの解決策はふたつだ。1つ目は,自分の信念が間違っていたと認める方法。しかしこれが難しい。理由は簡単,怖いのだ。自分は思っていたほど有能ではなかったと認めることが。
そこで出てくるのが2つ目の解決策,否定だ。事実をあるがままに受け入れず,自分に都合のいい解釈を付ける。あるいは事実を完全に無視したり,忘れたりしてしまう。そうすれば,信念を貫き通せる。ほら私は正しかった!だまされてなんかいない!(103頁)

この傾向が深刻なのが司法の世界だそうだ。
本書では、ある検事の例が紹介されている。

8歳の少女をレイプしたとして有罪判決を受けた被告人が、DNA鑑定の登場後、少女の衣服に付着していた精液のDNAと一致しないことが判明する。しかしながら、検事はこれを受け入れられず、あれこれと理屈をつけて、被告人が犯人であることを延々と主張するのだった。

記録では、この後も同じような突拍子もない主張が249ページにわたり延々と続く。
「つまり4つの可能性があるということだ」とシュルツは指摘する。
「ひとつ、8歳の少女が性的に活発だった。ふたつ、被害者の11歳の姉が性的に活発で、その際は偶然妹の下着を身に着けていた。3つ、第三者が犯行現場にいた(被害者が侵入者は1人だったと証言しているにもかかわらず)。4つ、父親が倒錯した方法で被害者の下着に精液を付けた」

 

もちろん、もうひとつ大事な可能性がある。犯人は別にいる。(111頁)

司法の世界は、失敗を活かして事実認定の正確性を向上させようなどと思っている人はほとんどいないのではないか。
みんな、どうせ真実を確実に知る方法はないとあきらめながら、そして、確証バイアスや認知的不協和に思いっきりとらわれながら、失敗などしたことがない振りをして、真実発見よりも文句を言われないことと文句を言わせないことが至上命題であると考えて事実認定しているのではないか。

ベーコンは17世紀における科学の停滞を指摘したが、現在の我々も同じ状況に直面している。ただし、今日ベーコンがもたらしたような革新が求められているのは、自然科学(物理学、化学など)よりも、社会科学(政治学、法学、経済学、社会福祉学など)の分野においてだ。(316頁)

本書では、学習しているかどうかを確認するための3つの質問が紹介されている。

あなたは判断を間違えることがありますか?
自分が間違った方向に進んでいることを知る手段はありますか?
客観的なデータを参照して、自分の判断の是非を問う機会はありますか?
すべて「いいえ」と答えた人は、ほぼ間違いなく学習していない。これは、自明の理だ。モチベーションや熱意に問題があるわけではない。問題は、暗闇でゴルフの練習をしているその「やり方」にある。(321頁)

司法の世界の住人にこれを質問したら、すべてに「いいえ」と答えるに違いない。
事実認定を間違えることなどないし、間違った方向に事実認定していったとしてもそのことを知る手段はない。客観的なデータに照らして自分の事実認定が正しかったかどうかを確認することもできない。
暗闇でゴルフの練習をするのと同じだ。
学習していないのだ。

失敗を活かすには失敗を責めない制度が必要

失敗を活かすには、単なる心がけだけでは駄目なようだ。原因は、「単純化」と「責任追及」だそうだ。

「単純化」は、どうせ結果はもう分かっている、確認する意味ないよ、というような気持ちのことらしい。

実は、「正しいかどうか試してみる」を実行に移すには大きな障壁がある。実は我々は知らないうちに、世の中を過度に単純化していることが多い。ついつい「どうせ答えはもうわかっているんだから、わざわざ試す必要もないだろう」と考えてしまうのだ。これは案外根深い問題かもしれない。(161頁)

誰もが自分は頭がいいと思っており、答えも分かっていると思っているから、確認する必要性を感じない、ということのようだ。
「責任追及」は、単純化の一種のようだ。何か間違いがあれば、だれかを悪者にして責任追及して満足する。間違いの原因など考えない。

何か間違いが起こると、人はその経緯よりも、「誰の責任か」を追求することに気を取られる傾向がある。我々は、たとえどれだけ複雑な出来事でも、新聞や雑誌の見出しのように単純化してしまうのだ。(243頁)

しかし、ビジネス、政治、航空、医療の分野のミスは、単に注意を怠ったせいではなく、複雑な要因から生まれることが多い。その場合、罰則を強化したところでミスそのものは減らない。ミスの報告を減らしてしまうだけだ。(254頁)

我々にはこういう傾向があるので、失敗を活かそうとするのであれば、心がけるだけでは足りず、航空業界のように失敗を責めず、失敗を活かす制度をつくる必要があるようだ。

人生はトライアンドエラー

このように、この本は、失敗の効用をわかりやすく説いてくれる良書である。仕事でも何でも、あれこれと悩まずにさっさとトライしてみようという気持ちにさせてくれる。

あれこれ悩んで行動できない人にお勧めである。

 

 

ミニマリズムのその先の世界 「オランダ式倹約セラピー」

この本は2001年の本であるが、その後の私の人生を変えた本である。

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なぜオランダ式なのか

オランダ人はケチで有名なのだそうだ。

オランダ人の倹約家ぶりは,“ゴーイング・ダッチ(オランダ人式で行こう)”という言葉があるとおり,つとに有名です。(4頁)

この本は「禁煙セラピー」と同じシリーズなので「セラピー」というタイトルになっているが、内容は全然セラピーではない。
また、「倹約セラピー」というタイトルではあるが、倹約に関する本というよりも、生き方に関する本である。
この本に書かれているオランダ人の生き方は、読者の生き方にも様々な示唆を与えてくれる。

人間は奇妙な存在だ。

この本で最もすばらしいのは、倹約に関する話ではなく、オランダ人が口癖のように言う言葉である「It's normal」についてのコラムである。
このコラムでは、オランダ人が、どんなに変わった状況でも「It's normal」と言って、見て見ぬふりをする様子が語られている。

こと感心するのは,オランダ人はおしなべて“見て見ぬふり”ができるという点である。(98頁)

ここでいう「見て見ぬふり」というのは、悪事を見逃すとかではない。変わった人がいても、変わったことがあっても、奇異な目で見たりせず、何とも思っていない振りをするということだ。他人に関心がないわけではなく、実際には気にしているんだけれども、何とも思っていない振りをするのだ。

聞くところによると,オランダ人は「人間は普通に行動しているだけで充分に奇妙な存在だ」と教えられて育つらしい。その話を聞いて,彼らが口癖のように“It's normal”を連発する所以が多少なりともわかったような気がした。
どうりで他人が何をしようと,どう思っていようと,「お好きなように」なわけだ。(98頁)

人間は普通に行動しているだけで充分に奇妙な存在だ

本当に素晴らしい言葉だと思う。
自分の生き様を変えたひとことである。
実際、その通りだ。
自分は変なんじゃないかというような悩みとか、何かを恥ずかしく思う気持ちとか、コンプレックスとか、他人に対するフラストレーションとか、そういった思春期的な問題が、この言葉に出会ってすべて解決されたような気がする。
人は普通にしていても充分に奇妙な存在なのだ。もともと変なのだから、鼻毛が出ていたとしても、歯に青のりが付いていたとしても、チビでも、デブでも、ハゲでも、ブサイクでも、短足でも、貧乳でも、大して変わりはない。もともと変なモノがちょっと違った感じの変なモノに変わっただけだ。いずれにせよ変なことに変わりはない。
変な人に出会って嫌な思いをしても、人間はもともと奇妙な存在なのだから、とくに引きずって悩むこともない。

また、こうやって見て見ぬ振りをすることは、その人の自由を尊重することでもある。奇異な目で見たり眉をひそめたりするのは、その人を非難し、居心地を悪くさせ、排除しようとするアクションである。それは、その人の自由を認めないというアクションである。どんなに変な風貌の人であっても、どんなに変なことをしていても、それが悪いことでなければ、何とも思っていない振りをしてスルーするのが、その人の自由を尊重することなのだ。
真のリベラリストとはこうあるべきだ。

オランダ式はミニマリズムのその先

この本は2001年の本で、当時はミニマリストなんて言葉はなかったが、この本に書かれているオランダ人の生活はまさにミニマリストだ。必要最小限のものしか持たない。

かくしてオランダ人は,必要最小限の大好きなものばかりに囲まれて過ごす贅沢を味わいたいがために,日々の慎ましやかな生活を黙々と遂行していくのである。(40頁)

ミニマリストはモノを最小限にするので、服や食事にかけるお金まで最小限にしないと思うが、真のミニマリストたるオランダ人は、衣食にかけるお金も最小限である。

毎日の衣食に関してお金をかけるオランダ人は,ほとんどいない。「衣食にお金?かけてますよ」と言うオランダ人はさらにいない。彼らは実直なうえ,衣食に時間とお金を費やすことをバカげているとさえ思っているのだから。(24頁)

20年以上前のスキーウェアでも着続ける。お客さんにもコーヒーは出すがお菓子は出さない。ハムもこれでもかというほど薄く切る。
これは、そういう人が多いというレベルの話ではなく、オランダ国民みんながそうなのだ。

事実,現在デパートのキッチン用品売り場でハム・スライサー(ハム専用スライス機)が売られているが,一ミリよりまだ薄い設定の目盛りがあるところを見ると,「これでよし」という国民の強い意思とメーカーの自信がうかがえる。(48頁)

ただし、家には、お金をかけるのだそうだ。

では,何にお金を使うのか。衣食にお金を使わない,となれば,残るは“住”である。これに関しては,見事なまでの使いっぷりを披露してくれる。オランダ人のもっとも重要な買い物は,単純明快,“家”なのだ。
家に対する執着心は,日本人のそれよりもずっと強いように思われる。(31頁)

お金を惜しまずに居心地のよい家をつくり、その家で最小限の好きなものに囲まれて暮らすのがオランダ人なのだそうだ。
優先順位がはっきりしている。幸せとは何かについて確信がある。とても素晴らしいと思う。

ものは使い切る

オランダ人はものを徹底的に使い切る。必要でないものを買うことに罪悪感を感じるそうだ。

ひとつのものを擦り切れるほど使い切って,やっと次のものを買う。リサイクルできる不要物は,リサイクル・ボックスに入れるために外出する手間をいとわない。それが日常化しているため,壊れかけたもの,要らないものを“捨てる”機会はなかなか巡ってこないのだ。(22頁)
オランダ人はじつに“モノ持ち”がいい。ひとつのモノをボロボロになるまで大切に使う。いや,ボロボロにならないように大切に使っている。そもそもすぐにダメになってしまうモノは買わないし,どうしても必要でないモノを買うことに罪悪感を持っているようだ。(54頁)

靴下に穴が開いても捨てない。縫って穴を塞げば使える。
コートに穴が開いても捨てない。寒さをしのげるのであればそのまま着る。
必要性が生じない限り、買わない。
素晴らしいと思う。
自分もオランダ式を見習って、1999年に買ったプーマのジャージを未だに使っている。ただ古いからという理由で捨てたり、新しいジャージを買ったりするなんてオランダ式ではあり得ないのだ。

たとえ不要になっても捨てない。それを必要とする人に売ればよいのだ。
著者の友人のスーザンは、自転車の荷台に付けるカバンが不要になったので、売ることにしたそうだ。

耳を疑った。見れば,スーザンが通学に使っていたであろう紺色の鞄(鞄というより袋といった感じだ)があり,かなり使い込んだ様子がうかがえる。これを売る気なの?これでは五ギルダー(五〇〇円相当)でも買う人はいないだろう。
それより,五ギルダーのために,わざわざ背景のキレイな公園まで来て撮影し,現像し,掲示板に載せ,家まで見に来る人に説明する手間ひまを考えると,捨てた方が早いのでは……と思ってしまった。(80頁)

捨てないためには労力を惜しまない。
ヤフオクとかメルカリとかのおかげで、こういうオランダ式も実践しやすくなった。メルカリなんか見てると、こんなもの誰が買うんだというものも売られているし、そんなものを買う人もいる。本当に良い方向に進んでいると思う。時代はオランダ式にようやく追い付きつつあるのだ。

買う前によく考える

オランダ人は、買う前によく調べて、よく考えてから買うそうだ。
買うものを探しに店に行くようなことはないらしい。
著者が空港でリップクリームを買おうとしたとき、店員にこう言われたそうだ。

どのシリーズがあなたに合うか,調べてきましたか?え?わからない?それなら今日は買うのをやめたほうがいいわ。高価なものなんだから,全部試していたら,時間もお金も無駄になるだけよ(102頁)

また、著者が車を買おうと思って友人に相談したときの友人の回答もこうだ。

一.小さい車に乗ろうというのは偉い。なぜなら重量の軽い車は税金も安いからだ。
二.ただし,駐車場が狭いから小型車に乗るという理由は間違っている。運転に自信がないなら,事故に備えて大きな車に乗るべきだ。
三.オランダでオートマチック車に乗るのは,身体の不自由な人かお年寄り,そして日本人だけ。高いのは当たり前だ。
四.マニュアル車を操作してこそ,自動車に乗るだいご味がある。
五.できるだけ故障しないほうがいいが,多少の故障はその車の愛嬌だと思え。車も人間と同じなのだ。
六.いつか車を手放す気なら,そのときの価値を考えるべきだ。新車か中古車かはあまり問題ではない。
七.そもそも予算がいくらなのか,それすら決めずに人に相談することをキミはどう思っているのか。ボクは迷惑だ。
八.自動車を買えば,自動車保険に入らなければならない。それすらキミは知らないだろう。
九.わからなければいくらでも教えてあげるから,ひとりで決めずに相談すること。(116頁)

買う前によく調べて、よく考える。
自分もこれを実践するようになってから、買ったものについてあまり後悔しなくなったし、なぜそれを買ったのかを他人にも説明できるようになったような気がする。
やってみると、買う前によく調べてよく考えるというプロセスそのものがまた楽しい。
ここ最近買ったものでも、事前に調べて、よく考えてから買ったものは、なぜそれを買ったのかを説明できるし、後悔もしていない。
事前によく調べてよく考えれば、買い物で後悔することがなくなるのだ。
もちろん、状況が変わったり、考えが変わったりして、買ったものが不要になることはある。そんなときは、キレイに写真を撮って、メルカリで売れば良いのだ。

オランダ式こそが進むべき道

この本に書いてあるようなオランダ人の生き様が今も維持されているのかどうか分からないが、素晴らしいと思う。
これこそが進むべき方向だと思うし、現にその方向に進んでいると思う。
生き様を考えたい人にはオススメの面白い本である。

 

 

お前が電話してきたから絶対入金しない! 「督促OL修行日記」

この本は、クレジットカードの督促業務を行うこととなった普通のOLのサバイバル日記である。

https://www.instagram.com/p/BQE7BFilVHi/

理不尽な債務者たち

著者は、学校を出てクレジットカード会社に勤めたところ、支払がされていないユーザに対する督促を行う部署に配属される。
業務内容は、督促の電話をかけることである。

「お金返してください」ーーああ世の中にこれほど、誰ひとりとして望んでいない電話があるだろうか。
でも、その電話こそが、私がこれからしなければならない「督促」という仕事だった。(19頁)

そんな電話に対し、金を払わないユーザたちの反応は、理不尽きわまりない。

怒る

まず怒る。怒るヤツはたいていろくでもないヤツだが、滞納者の怒り方はとくにひどい。

「オイコラ!!どうなってるんだよ-!!」(88頁)
「カードが使えねぇじゃねえか!どうにかしろ!!××××、○○○○!!」(89頁)

自分が支払を滞納したからこうなっているのに、どうして怒れるのか、意味が分からない。客観的に見れば頭がおかしいとしか言いようがない。
しかし、オペレーターは、そんな頭のおかしい言い分にまじめに対応しなければならないのである。

脅す

次は脅しである。滞納者たちは、滞納しているくせに、オペレーターを脅しにかかる。

「今からお前を殺しに行くからなーー」
お客さまはそう言うと、プツリと電話を切りました。(10頁)

「わかった。そこまで言うなら、直接会って話そうじゃねぇか。N本とかいったな。今から高速飛ばして行くから待ってろよ!」(54頁)

「ああ。今、XXインターまで来た。もうすぐ着くからな」(56頁)

「お前の会社に爆弾を送った」(58頁)

バカじゃないだろうか。
しかし、オペレーターは、そんなバカの脅し文句を聞かなければならないのである。

「今から行く」と言って本当に来る人はほとんどいないようだが、こんなバカに実際に危害を加えられたらたまったものじゃない。

説教する

そして、説教する。

ある時、50代の女性に督促の電話をかけた際にこんなことを言われた。
「こんな人を不愉快にするような仕事、しない方がいいと思いますよ!!まじめに働きなさい、まじめに働くことだけを考えなさい!」(136頁)

お前がまじめに金払え!」と返す速さを競うべきところだ。
しかし、オペレーターは、この説得力ゼロの話を、反論せずに聞かなければならないのだ。

意味不明なことを言う

さらに、意味不明な論理で反論する。

「今日入金しようと思ってたんだよ!あーもー、お前が電話してきたからやる気なくなったわー、頭に来たからもう絶対入金しないから」(142頁)

理不尽すぎる。
これが日本の現実だと思うと絶望的な気分になる。
オペレーターの心が壊れて当然である。

使い捨ての感情労働の現場

こんな業務を毎日行っていれば、オペレーターは心身ともにぼろぼろになって当然である。
クレジットカード会社は、そんなオペレーターをどんどん使い捨てていく。

でも実際、異動してみると、そこで行われていたのは、おおげさに言うと人の消費や使い捨てのような労働だった。(131頁)

この本は、著者の性格が反映しているのか、暗い話も全体的に明るい調子で書かれている。そのため、あまり深刻にならずに読めてしまう。
だけれども、書かれている内容をよくよく考えると、かなり深刻な話である。

ある日、お昼休憩に抜ける途中、ふと私がオペレーターブースの一角を通りかかった時のこと。
区切られたブースに座る一人のオペレーターの女性が、はらはらと涙を流しながら電話をしていた。(129頁)

私が慌てて手を叩くと…すぐに男性社員が飛んできてオペレーターからヘッドフォンとマイクを取り上げて電話を代わってくれた。
泣いているオペレーターは別の女性社員が付き添ってコールセンターの外へと連れていく。でも、彼女の周りにいるオペレータはちらりと彼女を目で追った後、何事もなかったように電話を続けている。もうコールセンターではこういった出来事は日常茶飯事なのだ。
(また、一人ダメになったなぁーー)
ぽっかりとひとつ空いてしまったブースに注がれるのはそんな冷やかな視線だった。(130頁)

出社して朝イチで取った電話で、オペレーター本人やご家族から退職の申し出を受けることも珍しいことじゃなかった。(131頁)

大げさでも何でもなく、文字どおり使い捨てである。
人生が嫌になる職場である。コールセンターの人員募集に人が集まらないのも当然である。

こんな仕事が本当に必要なんだろうかと本気で思ってしまう。こんな仕事はなくしてしまった方が世のため人のためになることは明らかである。

こんな督促の電話はそもそもする必要がない。自動発信の自動音声でいいではないか。単に忘れているだけなら気づくし、それでも払わない人は客じゃないから回収できるだけ回収してサヨナラすればよいのに。何でこんなことしてるんだろうか。クレジットカード会社が人件費と労力をかけてわざわざこんなことをしている以上、こんな不良債権でもオペレーターが電話で督促することで回収できれば、それだけの利益が得られるのだろうか。そうであれば、やめさせるには、人件費を上げるしかないのかも知れない。

生き残る知恵

著者は真面目な人のようで、私のようにただ理不尽を嘆きくだけでなく、理不尽の存在を認め、その中で生き残るための努力をはじめる。

もう少しなんとかならなかったの?もう少し負担を減らせる方法があったんじゃない?とコールセンターで働く誰かが辞めていくたびに悔しく思った。
よしじゃあ、いっちょ、実験しよう、と思った。
幸いなことに(?)私は督促が苦手だった。自分で言うのもなんだけど、心も体もボロボロだった。
私が督促できるようになれば、お客さまに言い負かされないようになって、お金をちゃんと回収できるようになれば、そのノウハウはきっと使える。(136頁)

この本が描く督促の現場はなかなか深刻だが、著者のこのような性格によって、読者があまり深刻な気持ちにならないようになっている。

本書では、そのような著者が督促の現場で身につけた督促の知恵がいくつか紹介されている。

約束の日時は相手に言わせる

これによって、相手が約束を破った場合に相手の罪悪感を刺激することができるそうだ。何の強制力もない電話での督促では、このような些細なことでも武器として使えるのだろう。

要求せず質問する

人間の脳は疑問を投げかけられると、無意識にその回答を考えはじめるそうだ。
著者は、その知見を活かす。
「支払ってください」と要求するのではなく、「いつであれば入金可能でしょうか?」「いくらであれば入金可能でしょうか?」と質問した方がよいという。
そうすると、相手は、自然と質問について考えだし、いつであれば/いくらであれば払えると回答するようになるという。
これによって、「約束の日時を相手に言わせる」ことにつなげられるのだ。

付箋を読む

人は突然怒鳴られるとフリーズしてしまうものだ。
そんなときは、付箋を読めば良いという。

「私、クレームとかでお客さまに怒鳴られると、とっさに言葉が出てこなくて、何も言えなくなっちゃうんです。だから、そういう時はこの付箋を読むことに集中するようにしているんです」(155頁)

これに近いことは自分もやっている。面倒なヤツに電話するときは話す内容やキーワードをメモしておき、言葉が出なくなったらそれを読むのだ。

いずれにしても、こんなテクニックが必要となるとは、なんとも過酷な現場である。

他にも様々なテクニックが

このほかにも、怒られないしゃべり方足つねりツンデレ督促「謝ればいいと思っているんだろう!」と言われない謝り方、などなど、著者が実践の現場で得た督促テクニックが各所で紹介されている。
どれも、現場に身を置く者にとっては命を救う知恵であるに違いない。

よいこともある

なにもメリットがなさそうな督促の現場だが、よいこともあるという。

ところが「督促道」を身につけるにつれ、不思議と長らく曇っていた目から靄が取れ、瞬時に「あ、この人はだめんずだ」とわかるようになった。まるで長らく債権回収をやっていると、人を見て「この人借金してる」とわかってしまうように(ある意味近いのかも)。(214頁)

そういう人が目を覚ますためには良いのかも知れない。他にもっとましな方法がありそうな気もするけれども…。

すべてが間違っている

この本の著者は、理不尽を嘆くのではなく、理不尽の存在を認め、理不尽の中で生き残ろうと努力する。

そのような著者の姿勢が、なおさら読者の正義感を刺激し、「そもそもこんなのは間違っている」という思いを強くさせる。

使い捨ての感情労働に対する問題意識を確認したい人におすすめの本である。