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心をかき乱す裁判官面白エッセイ 「リーガル・エクササイズ」

法律実務

「リーガル・エクササイズ」は、元東京高裁部総括判事の加藤新太郎のエッセイ集だ。
弁護士じゃないのに弁護士に関する本をたくさん出していた著者も、昨年、退官して弁護士となり、某大手法律事務所に入所し、ご活躍されているようである。
「リーガル・エクササイズ」は、著者が退官前に最後に出した単行本のようである。いろいろと考えさせられるエピソードが掲載されている。

マジか!名の変更申立事件

この本の中でピカイチの秀逸すぎる強烈なエピソードが、名の変更申立事件の話だ。

目の不自由な40歳くらいの独身女性が、占い師から「名前が悪い、名前を変えれば開眼する、このチャンスを逃すともうチャンスは二度とない。」と言われ、家庭裁判所に自分の名の変更を求める申し立てをしたという。
このような申し立ては「迷信に基づく改名の申立て」といわれ、正当事由が認められない典型例のひとつと言われている。そのため、一見すると、この女性の申立てを許可することは難しい事案だとおもわれたが、著者は、審判で事情を聞き、悩みに悩んだ末、人助けだと思い、申し立てを許可した。
そして3、4か月後、この事件のことなどすっかり忘れていたころ、その女性から裁判所に電話があり、その女性はこう言ったという。

「目が見え始めました。」

何とも不思議で面白い話である。不思議さを笑える話でもあるし、不思議さを考えさせられる話でもある。一度聞いてしまうと忘れられない秀逸な話である。

裁判官も認知バイアスからは逃れられないのか

別のエッセイで、著者は、「世の中にはずるい人もいるので、裁判官は狡猾な当事者の一枚上手をいかなければならない」と説き、具体例として次のような話をあげている。

X所有の土地の隣地に建つY所有の建物のひさしがわずかにX所有の土地に越境していた。Xは、不動産業者にこの土地を売る話を進めていたが、売買契約に支障のないよう、Yと話し合い、Yは一定の期日までに越境部分を撤去すると口頭で約束した。その後、Xと不動産業者はX所有の土地を5300万円で売る契約を締結したが、その売買契約において、「Xが一定の時期までにYの建物の越境状態を解消すること」という条件が付され、これが解消されないときは売買契約は取り消され、Xは不動産業者に売買代金の1割の違約金を支払うこととされた。
しかしながら、その後、Yは、約束の日までに越境部分を撤去しなかった。その結果、Xと不動産業者との間の売買契約は解除され、Xは不動産業者に売買代金の1割の違約金(530万円)を支払う羽目になった。
そこで、Xは、Yに対し、Xが支払った違約金相当額530万円の損害賠償請求をした。
Yは、Xの主張するような約束はしていないと争った。

XとYとの間の約束は口約束で言った言わないの問題になってしまっているので、証明不十分としてXの請求が棄却されること自体はやむを得ない。
それはさておき、著者は、この事案について、「よく考えてみると、この特約付売買契約は奇妙だ。」と言い出すのだ。
1.越境部分は空中で、しかもわずかなのだから、買主がこれを気にするのははなはだ不自然だ、2.違約金の額も高すぎる、3.買主が本当にこの土地を欲しいのであれば、越境の解消を売主であるXに任せるのはおかしい、と言う。
そして、これは売買契約自体が架空なのだ、Xの弁護士は売買契約自体の疑問に思い至ることが必要であった、というのだ。

この論理は理解不能だ。1.5300万円もする住宅地を買うのだから、隣地建物が越境していたら何とかしたいと考えるのは当たり前だ。越境部分がわずかでしかも空中だからと言って気にしないで買う人がいれば、とんでもないお人好しである。特に、この事例では買主は不動産業者なので、購入した土地を自分で使うわけではなく他者に売るわけであるから、相隣問題のないケチのつかない土地にしておきたいのは当たり前である。2.個人と業者の不動産売買の手付けの上限は2割とされており、実際にそれに近い金額の手付けが授受されることも少なくないことを考えると、売買代金の1割という違約金の金額は、全然高くない。3.買主が不安に思う土地の障害を引き渡し時までに売主の責任で除去することとするのは普通のことで、むしろよくあることである。越境の解消を売主に任せるのは何もおかしくない。これを買主の責任で行う場合には、その分、売買代金が減額になる。
こんな理由で売買契約が架空だと思われたら、Xとしてはたまらないのではないだろうか。

人は、自分が本当の真実を見つけ出したと思ってしまうと、その結論にそう理由しか目に入らなくなり、その結論から逃れられなくなる。裁判官も人なので、いったん「おかしいぞ。さてはこれは本当は売買自体が架空なのだな!騙されると思ったら大間違いだ。」と思いついてしまうと、それがいかに的外れであっても、思いついた本人はもうその考えから逃れることはできなくなってしまう。

このエピソードは、裁判官も普通の人であり、認知バイアスからは逃れられないのだということを思い起こさせてくれる貴重な話である。

良い陳述書・残念な陳述書

陳述書についてのエッセイは、陳述書を作成する側の立場にある弁護士にとって、非常に参考になる。

このエッセイでは、女性Xが男性Yに暴力を振るわれたとして訴え、男性Yは暴力など振るっていないとして争っている事件で、女性Xから提出された「男性Yがテーブルをひっくり返し、テーブル上にあったCDや雑誌を投げつけた」という陳述書に対し、辛辣なコメントがされていて、参考になる。この陳述書は、語られるべき事項が欠けており、出来事が迫真性を伴う形で裏づけられていないという。

第1に、Yはテーブルをひっくり返すほど暴れたというが、ひっくり返したというテーブルは、どのくらいの大きさか、ひっくり返したときに何が乗っていたか。テーブルの上に乗っていたものがあったとすれば、その周囲はひどい有り様になったはずであるが、その惨状はどのようなものであったか。
第2に、Xは翌朝マンションから出ていったというが、ひっくり返したというテーブルはどうなったのか。誰かが片付けていたのか、そのままにしていたのか。
第3に、XはYからCDや雑誌を投げつけられたというが、よけることができたのか。体に当たったのか。体に当たったとしたら、痛かったのか、ケガをしたのか、それほどではなかったのか。
第4に、Xが投げつけられたCDをよけたとしたら、壁に当たったのか、床に当たったのか。壁や床に当たったとしたら、傷がついたのか、つかなかったのか。
以上のような事項が具体的に記載されていない陳述書は、作文に等しい。(177頁)

何とも身につまされる指摘である。

エッセイでは、逆に良い陳述書についても紹介されている。その陳述書のどういう点が良いのかというと、「当人でなければ認識できない事柄が、具体的に記述されていた。その表現も、紋切り型ではなく、訥々とはしているが肉声で述べられていると感じられるものであった。」という。

前半の「当人でなければ認識できない事柄が、具体的に記述されていた。」という部分はよく分かる。文章化するときにはついついストーリーとしての読みやすさを気にしてしまうが、そんなことより、ストーリーとしての流れが悪くても、具体的事実を淡々と羅列していった方が、証拠としては良い証拠になるのだろう。
しかし、後半の「その表現も、紋切り型ではなく、訥々とはしているが肉声で述べられていると感じられるものであった。」という部分はどうなんだろうと思う。訥々と話すのは素朴な誠実さを感じさせるかも知れないが、陳述書は文章である。訥々とした文章を書くというのは、ただ単に国語能力に問題があるだけではないかとも思う。わざと訥々と話すような感じで文章を書くのは、供述の文書化というよりも、もはや心証を操るための文章表現の高等テクニックの領域ではないか。
こうなると、陳述書も、わかりやすく文章化するより、尋問調書のように問答の書き起こしのようにした方が良いかも知れない。もちろん、問いに対する答えは訥々と話すような感じで書く必要がありそうだ。

民事訴訟の増加について

別のエッセイでは、著者は、日本での民事訴訟利用率が他国と比べて低い理由についての考察をしつつ、今後は民事訴訟が増加するとみる。

考えてみると、我が国において、今後、民事訴訟の増加をもたらす要因となる要因は少なからずみられる。例えば、規制改革は自由競争をもたらすが、その行き過ぎは刑事制裁だけでなく民事的救済も求められることになろう。また、外資系ファンドの活動による企業買収について司法判断を求められるケースは、グローバル化の象徴的係争である。さらに、地域社会の変容(ムラ社会の崩壊)は、近隣関係の係争を確実に増加させる。加えて、弁護士数の大幅増加は、決定的な増加要因とみられる。
民事訴訟の利用は増えるであろう。(203頁)

書かれていることは確かにそのとおりなのだか、現実には逆のことが起きている。ここに書かれているような規制改革やグローバル化、地域社会の変容や弁護士数の増加といった要因は、15年も前の小泉政権のころからどんどん進んできたが、この15年間で民事・行政訴訟の件数は増えるどころか何と半分になっている。
現実をふまえると著者のこの予想は当たらないのではないかとも思われるが、どうなるのだろうか。

考えを読んで、納得したり突っ込んだりしながら考える

このように、この本は、裁判官があれこれと考えたことを徒然に書いた内容を読んで、「その通りだ」と思ったり、「なるほど」と思って参考にしたり、「それはおかしい」と思って反対意見を考えてみたりでき、有意義な時間を過ごせる本である。法曹関係者であれば、明日からの仕事のモチベーションに対して少なからずプラスの影響を与えるに違いない。