誰もが知っているが目を背けてきた財産についての真実 「私の財産告白」

本多静六は、林学博士で、日本の「公園の父」と呼ばれているそうである。日比谷公園を設計したことで有名であり、日比谷公園に行くといつも「ここが本多静六のつくった公園か」と思い出してしまう。
本多静六は億万長者だったことでも有名で、そんな本多静六が、昭和26年、85歳のときに、財産についての「本当のハナシ」を記したのが、「私の財産告白」という本である。

https://www.instagram.com/p/BO8j2bAl4ZW/

財産をつくる

「勤倹貯蓄しかない」という目を背けたくなる真実

本多静六が勧める財産形成の方法は、まずは芯となる財産をつくり、その後これを投資によって増やす、という、ごくごくスタンダードなものである。
そして、芯となる財産をつくる方法について、「勤倹貯蓄するしかない」と、目を背けたくなる誰もが知ってた真実を言う。

本多静六はもともと貧しかったが、貧乏と積極的に戦う覚悟を決め、「4分の1天引き貯金法」を実行したという。これは、通常収入の4分の1と臨時収入のすべてを天引きして貯金し、残りで生活する、というものである。貯金したければ天引きしろという、これまた目を背けたくなるような誰もが知ってた真実である。

そこで断然決意して実行に移ったのが、本多式「四分の一天引き貯金法」である。苦しい苦しいで普通の生活をつづけて、それでもいくらか残ったら……と望みをかけていては、金輪際余裕の出てこようはずはない。貧乏脱出にそんな手温いことではとうてい駄目である。いくらでもいい、収入があったとき、容赦なくまずその四分の一を天引きして貯金してしまう。そして、その余の四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。(23頁)

ところで、私のやり方をさらに詳述してみると、「あらゆる通常収入は、それが入ったとき、天引き四分の一を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む」法である。これを方程式にすると、
貯金=通常収入×1/4+臨時収入×10/10
ということになる。(24頁)

貯金するにはこのように天引き貯金をするしかないことは、誰もが知っているが、実行するのは非常に難しい。ついつい、他にもっと簡単な方法がないものかと考えてしまう。本多静六のこのアドバイスは、他の簡単な方法などない、という残酷な真実を告知し、覚悟を決めて勤倹貯蓄するよう求めるものである。

アルバイトにも精を出す

本多静六は、四分の一天引き貯金法による勤倹貯蓄だけでなく、アルバイトにも精を出すことを勧める。そのアルバイトも、本業の足しになり、勉強になるような者を選ぶべきであるという。

さて、話は前に戻るが、勤労生活者が金を作るには、単なる消費面の節約といった、消極策ばかりでは十分でない。本職に差し支えない限り、否本職のたしになり、勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトにつとめることである。(44頁)

本多静六自身は、1日1頁の原稿執筆を続けたほか、諸官庁の嘱託業務、大学等での講師、民間事業の財務や事業上の相談、など、学問を生かしたアルバイトを数多く行ったという。

この本多静六のアドバイスのなかで重要なのは、本業と関係のないことをするのではなく、本業と関連し、本業にも直接間接に役に立つ、というところではないかと思う。本業と関係のないアルバイトや副業をすると、注意も能力が分散されてしまい、本業もアルバイトも仕事の質が悪化してしまう。しかし、本業と関連し本業にも役に立つアルバイトや副業であれば、相乗効果で、本業もアルバイトも仕事の能力や結果の質も上がるであろうし、それぞれの仕事のモチベーションを高めることにもつながりそうである。

投資で増やす

本多静六は、ドイツに留学した際に師事したブレンタノ博士から、このように言われたという。

「いかに学者でもまず優に独立生活ができるだけの財産をこしらえなければ駄目だ。そうしなれば常に金のために自由を制せられ、心にもない屈従を強いられることになる。学者の権威も何もあったものではない。」(28頁)

その上で、このように言われ、投資を勧められたという。

「財産を作ることの根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものはこしらえられない。さて、その貯金がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい。」(29頁)

そして、鉄道や山林など、国家の発展に伴って伸びるであろう事業への投資を勧められたという。
このアドバイスに従って、本多静六は、勤倹貯蓄によってためたお金を投資し、財産を形成していったというのだ。

本多静六は、最初に私鉄時代の日本鉄道株を買い、その後、鉄道が国有化された際に買値の2.5倍の価格で政府に買い上げてもらったという。
続けて、秩父の山奥の山林を二束三文で買ったが、その後、日露戦争後の好景気で木材が値上がりし、買値の70倍で売ったという。
その後も投資を続け、40歳になったときには大学の俸給より貯蓄の利子や株式配当の方がずっと多くなったという。
わらしべ長者みたいな話だ。

時代背景が異なるので、この話を現在にそのまま適用することはできないとしても、当時も誰もがこのようなことをできたわけではなく、本多静六のように大きな財産を形成した者はごくわずかなのであろうから、本多静六の投資法には、現在にも共通する何らかの方法論があるに違いない。

株式投資

二割利食い、十割益半分手放し

本多静六は、株式投資については、「二割利食い、十割益半分手放し」というルールで押し通したという。

「二割利食い」は、買値の20%の利益が出たところでキッパリと利食いし、それ以上は決して欲を出さない、というルールである。
そして、「十割益半分手放し」は、いつの間にか買値の2倍以上に騰貴したら、半分手放す、というルールである。そうすると、もともとの買値である元本は回収しているので、あとは増えれば増えるだけ利益となるし、たとえ暴落しても損はしない、という。

このルールでは、2割で利食いを徹底すると言っておきながら、どうしていつの間にか10割益までいってしまうことがあるのかが不思議だが、頻繁に株価をチェックしたりせずに放っておくのであれば、忘れていた株の株価がいつのまにか2倍になっているということもあるのかも知れない。

値下がりしたらどうするのかというと、売らずにいつまでも持ち続けるので損はしないのだという。無理のない余剰資金で買うので、値下がりしているのにどうしても売らなければならない、という状況に追い込まれることはないという。

値下がりすることもあるが、この場合無理のない持ち株だからいつまでも持ちつづける。したがって絶対に損はしない(50頁)

好景気時代は勤倹貯蓄、不景気時代は思い切った投資

本多静六によると、株式投資の鉄則は、「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を」であるという。

投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、何時も、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。(52頁)

なお、本多静六が一番うまくいった株式投資は、関東大震災直後に売られすぎだと思って買った株であるという。最近に当てはめてみると、リーマンショックとか、東日本大震災のときなどが思い切った投資をするときだったのだろう。今は株は買わずに勤倹貯蓄すべきときに違いない。

絶対安全から比較的安全へ

本多静六は、ある青年が百万円を二億円にしたいといって相談に来て、財産を増やすための具体的なアドバイスをして欲しいと迫られたのに対し、こう答えたという。

投資の第一条件は安全確実である。しかしながら、絶対安全をのみ期していては、いかなる投資にも、手も足も出ない。だから、絶対安全から比較的安全、というところまで歩み寄らねばならぬ。そうして、その歩み寄りの距離だけを、細心の注意と、機敏な実行で埋め合わさなければならぬ。(95頁)

そして、卵を一つのカゴに入れるのは危険だから分散しろ、とか、レバレッジを効かせるために銀行から金を借りろ、というアドバイスをしたという。

あまり目新しさのない話だが、本多静六が言うのだから、つまらないけど本当の話なのだろう。これもきっと誰もが知ってた目を背けたくなる真実の1つであるに違いない。

財産と幸せ

「私の財産告白」には、財産形成に関する話のほかにも、お金や仕事に関係する様々なアドバイスとエピソードが記されている。そのひとつが、財産と幸せに関する話である。ここでも、お金があればそれに比例して幸福になるわけではない、という、誰もが知ってた目を背けたくなる真実が示されている。

これに関して、本多静六の「天丼哲学」が紹介されている。

ずいぶんと古い話だが、私が苦学生時代に、生まれて初めて一杯の天丼にありついたとき、全く世の中には、こんなウマイものがあるかと驚嘆した。処は上野広小路の梅月、御馳走してくれたのは金子の叔父であった。

そのときの日記を繰り返してみると、

「ソノ美味筆舌ニ尽シ難ク、モー一杯食ベタカリシモ遠慮シテオイタ、ソノ価三銭五厘ナリ、願ハクバ時来ツテ天丼二杯ヅツ食ベラレルヤウニナレカシ」

と記されている。

後年、海外留学から帰ってきて、さっそくこの宿願の「天丼二杯」を試みた。ところが、とても食い尽くせなかったし、またそれほどにウマクもなかった。この現実暴露の悲哀はなんいついても同じことがいえる。(68頁)

これは誰もが経験があるのではないかと思う。自分も、昔は、コンビニに行って値段を気にせずに好きな者を好きなだけカゴに入れて買えるくらいになれればどんなに幸せか、と思っていたことがあったけれども、いざそうなってみてやってみても、大して満足感もないし、そもそもコンビニの商品なんかそれほど欲しくない。

本多静六は、天丼哲学を踏まえて、こう結論づける。

いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方法が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。(69頁)

いまどこにいるかより、どこに向かっているかの方が大事だということなのだろう。

財産と世渡り

また、「世渡り」に関して、なかなか割り切れない教訓も書かれている。
本多静六は、渋沢栄一安田善次郎に言及しながら何事も成功するには理性をもって感情を抑えることが極めて重要だが、他方で、理性をむき出しにせず、理性を抑えて情に負けることも大切だという。

たとえば、馬鹿げた失敗をしたうえ金をもらいにくるような者に金を与えるのは、まるでドブの中へ金を捨てるように思えるが、そこはいわゆる「小言はいうべし、酒は買うべし」で、その将来を戒めると共に、多少の金をその場でめぐんでやるくらいのゆとりをもちたい。
これは本人にもおのずから反省の機会を与える場合にもなろうし、また自分のためにも財的社会税を支払う結果ともなるのである。渋沢栄一安田善次郎の両翁は、共に理性の発達した財界の偉人として私の尊敬する人物であったが、安田翁凶刃に倒れ、渋沢翁が最後まで安泰におられたのは、正にこの辺の用意の差に由来したものと信ずるのである。(89頁)

渋沢栄一安田善次郎も有名な実業家だが、安田善次郎は、朝日平吾という人に殺害された。どうやら、朝日平吾安田善次郎に事業への寄附を求めたところ、安田善次郎がこれを断ったため、殺害されたらしい。
この朝日平吾という人は、それ以前に、渋沢栄一にも寄附を求めたことがあり、渋沢栄一はこれをいったん断ったが、朝日平吾が寄附しなければその場でハラを切ると言い出したので、やむなく寄附したという。

財産を持つと、訳分からないヤツが意味不明な理由でお金を出すように頼んでくることも仕方がない、それを断って刺されるくらいなら、財産税だと思ってめぐんでやった方がいい、何とも割り切れない話だがそれが現実なのだ、ということなのだろう。
これはきっと今も同じだろう。

なお、本多静六が語る渋沢栄一のひととなりは、なかなか興味深い。渋沢栄一に関する本はたくさんあるが、直接の知人が「彼はこういう人だ」と語る本はあまりないように思う。

渋沢さんという人はなかなかの理屈屋で、理屈に合わぬことはなんとしても取り上げなかった。事業でも、寄附でも、身の上相談でも、そこに合理性の発見されない限りてんで振り向かなかった。しかもそれは、頑固に近い儒教的な一種の合理主義からきているもののようであった。
ところが、いったんこうと引き受けたからには、何から何まで親身になってよく世話をつづけられた。そこに多少の不合理が生じようと、理屈に合わぬことが出てこようと、今度は打って変わった人情で押し通され、最後まで親切に指導をつづけられた。理に始め、情で終わられる、めずらしい存在であった。(128頁)

渋沢栄一の本を読みたくさせる記述である。

仕事には遠慮は無用

また、本多静六の昇進に関するエピソードも面白い。

本多静六は、ドイツ留学から帰国すると、農科大学の教授への推薦を打診されたという。卒業2年でいきなり教授に就任というのは極めて異例の扱いだったという。
しかしながら、本多静六が教授になってしまうと、かつて教えを受けた2人の助教授らを飛び越えてその上に立つことになってしまう。
そのため、本多静六は、2人の先生の下にして欲しいと答え、その結果、教授ではなく助教授に就任したそうである。
ところが、その後、その2人の先生がいっこうに昇進せず、それにつられて本多静六の昇進も長いこと待たされ、8年間も助教授のままおかれることとなった。さらにこの間に、著者に2年遅れて留学から戻ってきた知人が教授となって自分の上に立つこととなってしまい、つまらない謙遜をしたことを後悔し、悶々とした日々を送ったという。

そこで私は、いまさらながら、「私の体験社会学」として力説したい。ーそれは、いかなる場合、いかなる職務でも、自分自身にその実力さえあれば、与えられた当然の地位は敢然と引き受けるべし、ということである。(160頁)

 「自分自身にその実力さえあれば」というところがよい。このような場面ではついつい自分がその職務にふさわしいかどうかと考えてしまうが、ふさわしいかどうかではなく、できるかどうかを考え、できるのであればやれ、ということらしい。
自分も肝に銘じておきたいと思う。

目を背けたくなる誰もが知ってた真実

「私の財産告白」には、奇をてらったことは書かれておらず、つまらない答えかも知れないけれどもこれが答えなのだから仕方がないじゃないか、という感じで、誰もが知ってたけれども目を背けてきた真実がずばり書かれている。
財産について考えたい人にも、本多静六に興味を持った人にも、オススメの本である。