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だからなに?おばあちゃんに説明して! 「プラグマティズムの作法」

プラグマティズムの作法」の著者の藤井聡氏は、持論の列島強靱化論が安倍内閣の国土強靭化政策として採用され、内閣官房参与に就任している。また、大阪維新の会との対立が報道されたりもしている。

本書は、そのような著者の言動の基礎にある「プラグマティズム」の思想を解説する本である。

https://www.instagram.com/p/BPgsm5cF6Nv/

プラグマティズムって何?

この本の半分が「プラグマティズムとは何か」の説明に費やされている。
この部分が、本書で最も読み応えのある部分である。

プラグマティズムは、19世紀のアメリカで、パース、ジェームズ、デューイという3人の哲学者が中心となって展開された思想運動だそうである。
その内容は、パースが提唱した「プラグマティズムの格率」に集約されている。

プラグマティズムの格率
ある対象の概念を明晰にとらえようとするならば、その対象がどんな効果を、しかも行動に関係があるかも知れないと考えられるような効果を及ぼすと考えられるか、ということをよく考察せよ。そうすれば、こうした効果についての概念は、その対象についての概念と一致する。
(Consider what effects, that might, conceivably have practical bearings, we conceive the object of our conception to have. Then, our conception of these effects is the whole of our conception of the object.)
(36頁)

日本語の方は何回読んでも理解できないが、英語の方を読むとなんとなく分かってくる。何かについて考えるときは、それがどういう風に役に立つ可能性があるものなのかをよく考えろ、その答えが、その「何か」とイコールなのだ、ということのようだ。

たとえば、「鉛筆とは何なのだろうか」と考えるときは、鉛筆がどういう風に役に立つ可能性があるものなのかを考えるのだ。
鉛筆は字や絵を書くのに役に立つ?それならば、鉛筆とは、「字や絵を描くのに役に立つもの」なのだ。それ以外のことを抽象的にあれこれ考えたって意味がないのだ。

つまり、プラグマティズムの格言とは、「何かについて考えるときはいつも、それがどういう風に”役に立つのか”ということ”だけ”を考えるようにしなさい。それ以外のことを考えたって、何の意味もないのだから」と意味しているということになります。(44頁)

このようなプラグマティズムの思想は、アメリカ社会に大きな影響を及ぼしているという。著者は、その典型例として、MITを挙げる。

実際、このジェームズやデューイの考え方が大きな影響を及ぼしたアメリカ社会では、こういう実学的な「工学」が、重視されています。マサチューセッツ工科大学(MIT)がアメリカ社会の中で絶大な影響力を持っているという事実は、その典型的な例だということができるでしょう。(45頁)

たしかにそうかも知れない。

「目的の転移」から抜け出す

人は、いつの間にか、単なる手段を目的だと思い込んでしまう。これを「目的の転移」と呼ぶらしい。
プラグマティズムの格率」を適用することによって、このような「目的の転移」から脱して、本当の目的をよく考えて、本当の目的のために役立つ手段を考え直すことができるようになるという。
著者は、これを、「プラグマティズム転換」と呼んでいる。

社会学者のマートンは、「単なる手段」を「目的」だと思い込んでしまう、というこのような現象を「目的の転移」と呼びました。そして彼は、人間が陥る愚かな性癖なのだと、それを強く批判したわけですが、恥ずかしながら、筆者もまた、そういう「目的の転移」を起こしてしまっていたわけです。(26頁)

本書では、こうした「目的の転移からの脱却」、あるいは、「より上位の目的を含めた目的と手段の連関の組み替え」を、プラグマティズムによる効能であるという点を踏まえて、「プラグマティズム転換」と呼ぶこととしたいと思います(30頁)

プラグマティズムの格率を適用してプラグマティズム転換を起こすと、今まで目的だと思って行っていたことが、実は、単なる手段に過ぎなかったことに気づく。そうすると、本当の目的を達成するためには、今行っていること以外にも別の手段もあるのだ、ということにも気づくことができるのだという。

だからなに?おばあちゃんに分かるように説明して

著者は、「プラグマティズムの格率」を適用するための簡単な方法として、「So What テスト」と「Grand Mother テスト」という2つのテストを紹介する。

「So What テスト」は、文字どおり、「だからなに?」と問いかける、という方法だ。この問いに答えることよって、それが何のために行われるものなのかが明らかにされる。

もうひとつの「Grand Mother テスト」は、それを自分のおばあちゃんでも分かるように説明せよ、というものだ。これによって、それが何のために行われるのかが、誰でも分かる言葉で明らかにされる。難解な抽象論でごまかすことができなくなるのだ。

つまり、スコットランドの哲学者の中で引き継がれてきているGrand Motherテストは、どのような研究にせよ、Grand Motherですら理解することができるほどに、きちんと、私たちの日常生活や、その中で生きていくための常識と繋がっていなければならない、ということを暗示する、大変厳しいテストなのだということができるでしょう。(72頁)

それ何ゲー?

このように、プラグマティスムは、「それ何のためにやってるの?」と常に問い、目的にかなっているかどうかを常に意識する思想であるが、当然のことながら、その目的は崇高なものでなければならず、下劣な目的ではだめだという。これは、パースやジェームズ、デューイらも、当然の前提としていたことである。

つまり、誠に不思議なことではありますが、どういう目的が崇高なのか、さらに言うなら、どういう目的のための仕事をすることが自分の良心にかけて正当化され得るのか、という点の適切な価値判断を志さんと企図した上で、「兎に角、役に立てば、それで良い」と言ってのける態度こそが、「プラグマティズム」の態度なのです。(95頁)

そして、本当の目的を理解し、それが正当な目的かどうかを考えるにあたって、「言語ゲーム」という考え方が役に立つという。

たとえば、「飛車」という言葉を正確に説明するためには、「将棋」というゲームについても説明しなければならない。「飛車」は、「将棋」というゲームの中で初めて説明できるものなのだ。

これと同じように、ある概念やある行いは、何らかの「ゲーム」の中で初めて説明できるものであり、そのゲームが何なのかが分かれば、その概念や行いの目的が正しいのかどうか判断しやすくなるのだ。

プラグマティズムの作法

以上が、著者の述べる「プラグマティズムの作法」だ。
まとめると、以下のようになるという。

さて、以上を踏まえ、「プラグマティズムの作法」を簡単にまとめると、次のように言うことができます。すなわち、

プラグマティズムの作法 

一つに、何事に取り組むにしても、その取り組みには一体どういう目的があるのかをいつも見失わないようにする。
二つに、その目的が、お天道様に対して恥ずかしくないものなのかどうかを、常に問い続けるようにする。(134頁)

日本にはプラグマティズムが足りない

プラグマティズム不足の経済学

著者は、日本にはプラグマティズムが不足しているといい、その例として「経済学」や「経済学者」を挙げる。

本来、経済とは経世済民、国民を豊かにすることが目的であるはずたが、そうではなくて経済現象を科学的に解析するのが経済学の目的だと考える経済学者が多くいるという。経済現象を科学的に解析するのが経済学の目的だと考える経済学者が、国民を豊かにすることが目的である国の経済政策に口を出しているのが問題だというのだ。

つまり、国民は経済学に対して、自分たちを豊かに、幸せにしてくれる方法を考えてもらうための「国民経済改善ゲーム」を期待しているわけですし、そもそもの経済学という言葉が「人助けのための学問」を意味しているにもかかわらず、当の経済学者達は、「自分たちは、経済現象についての科学をやっている、科学者なんだ」と自認しているわけです。
つまり、今の経済学者の多くは、「国民経済を改善する」だの「人を助ける」だのといったことにかかずらうために学者になったんじゃなく、経済に関する現象の科学者になるために、学者になったのだ、と思っている節があるわけです。
もしそうであるならば、経済政策に一切口を出さないようにしていただかないと、場合によっては国民経済がメチャクチャになってしまうことになります。(149頁)

ここ20数年は、経済学者の唱える「自由な市場で自由に競争すればうまくいく」という新古典派経済学の理論を国の経済政策に適用して、規制緩和構造改革!と自由化を進めてきた。しかし、現実はうまくいかない。それでも、「理論どおりにならない現実の方が悪い、まだまだ自由化が足りないのだ」と言って、さらなる自由化、さらなる規制緩和を求める。このループであった。

しかしながら、目的は「経済学の理論を適用すること」ではなく、「国民を豊かにすること」なのだから、うまくいかない現実が悪いのではなく、方法が悪いのだと認め、目的にかなう他の方法を実行するべきだ、というのだ。

ビジネスでもプラグマティズムが足りない

また、著者は、ビジネスの世界でも、プラグマティズムが足りないという。
ここで、著者は、日本マクドナルド初代社長(藤田田氏)と、浅草で創業250年の雷おこしを売り続けている「常盤堂雷おこし本舗」の社長の例を挙げる。

日本マクドナルド初代社長の藤田氏は、雑誌でのインタビュー記事で、以下のように発言していたそうである。

「ハンバーガーはボクは食べない。昼飯はいつもキツネうどんですわ。あんたねえ、ハンドバッグ屋のおやじがハンドバッグ持って歩きますか?あれは売るもんであって使うもんやないですよ」

「…(略)…安い材料を使ってうまく作るというのは難しいんですよ(笑)」

「…(略)…ハンバーガーをくれといわれ、にっこり笑って、ありがとうございますというと、三秒間だけ客は催眠状態に陥る。そこですかさず、コカコーラはいかがですかと勧めると、三人に一人は引っかかるんです(笑)」

(202頁)

他方で、「常盤堂雷おこし本舗」の社長は、テレビ番組で、若者からの起業に関する質問に対して、以下のように答えたという。

「まずは、商売をするんだったら、兎に角、その売るモノを好きにならなくちゃいけない。好きになれないなら、やめちまえばいい。だって、嫌いなものは、本気で人に勧められないでしょう?好きなものだから、一生懸命人に勧めることができる。だから、何かの商売をするんだったら、まずは、とことん、そのものに惚れ込まなくちゃ。…(略)」(203頁)

著者は、ここで「言語ゲーム」を使って、2人の社長が何のゲームをしているのかを解説する。

常盤堂雷おこし本舗の社長は、売り手良し、買い手良し、世間良しの「三方良しゲーム」をしている。

他方で、日本マクドナルド初代社長は、「利益最大化ゲーム」をしている。これは、売り手の利益のみ優先し、買い手わろし、世間もわろしであり、プラグマティズムの作法の「お天道様に対して恥ずかしくない」という条件を満たしていないという。

低価格化戦略で一時はデフレ時代の勝ち組と言われたマクドナルドも、価格破壊によってブランドイメージが失墜し、わずか2年で創業以来初めての赤字に転落した。これは、プラグマティズムが欠けていたことによる失敗であるというのだ。

日本マクドナルドは今も苦境が続いているみたいだが、2000年の低価格路線の影響が尾を引いているのかも知れない。確かにあのとき、自分の中でも、マクドナルドは、若者が集まるお店から、ホームレスが59円のジャンクフードを買い出しに来る店に変わってしまった。今もその印象は引きずっていて、マクドナルドがいくら高級高品質なものを出しても、そのとおり受け入れることができない。

プラグマティズムを欠いたビジネスはうまくいかないのだ。

政治も行政もプラグマティズムが不足している

国や地方の政策もプラグマティズムが不足しているという。いつも、閉塞感を改革で打破するぞ!改革だ!維新だ!道州制だ!TPPだ!となるが、著者は、「それって何のためにしているの」と問いかける。

しかし、小泉改革民主党事業仕分け、さらには、橋本市長の「維新」が何を目標としているのかを、明確に語ることができる人なんて、この世の中にほんとにいるのでしょうか?(294頁)

最近言われなくなった道州制も、道州制にしたら何の役に立つのか、明確な目標が見当たらないという。

確かにそのとおりかも知れない。

本書が出版されたのが2012年、その後、政治や行政はプラグマティズムを取り戻したのでしょうか。

プラグマティズムを理解して実践する

本書は、このように、プラグマティズムについて解説し、プラグマティズムの作法を説く書である。著者の提唱する政策等に対する賛否に関わらず、プラグマティズムそのものについて学び、実践することができる。

プラグマティズムはたしかに理にかなっている。プラグマティズムの作法は、読者の日々の実践に役に立つに違いない。

善く生きたいと考えている人におすすめの本である。