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小一時間問い詰めたくなる変な女の物語 「夫のちんぽが入らない」

この本は、著者が、20年かけて右往左往しながら幸せを受け入れる過程をつづった本である。
著者は、自己評価が低いためか、大人になっても様々な問題に対してあらぬリアクションする。そのリアクションは、いちいち、「マジで言っているのか」と小一時間問い詰めたくなるものばかりである。

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幸せを何だと思っているのか

まず、著者と著者の夫は、端から見ると、非常に幸せな夫婦である。
学生時代の交際期間中も、幸せいっぱいである。

授業が終わると、学食で「中学生」と安い定食を食べ、コンビニでお菓子を買って、肩を並べて稲妻荘に帰る。稲妻温泉にも行く。性的なことはしないで同じ毛布に包まって眠る。これのどこが不幸なのか分からない。(46頁)

本書には、夫がいかに著者を信頼しているかをのろける記述が多々現れる。
結婚する際、著者の夫は、著者の父に対してこう言ったという。

それは父の一言がきっかけだった。
「うちの娘は気が利かないし、はっきりものを言わない。思っていることを全然言わんのです。まったく情けない限りですよ」
「そうですか?僕はこんな心の純粋な人、見たことがないですよ」(160頁)

そんなことを言ってのける人は見たことがない。

また、著者が子供を産み育てることについての不安を呟いたときも、著者の夫はこう言ったという。

「あんたの産む子が悪い子に育つはずがない」
夫はそう断言した。(161頁)

著者が勤務していた学校を辞めようと思っていることを話したときも、夫は、このように言ったという。

「学校を辞めようと思ってる。もう校長には相談した。辞めてもいいかな」
「自分のしたいようにすればいいじゃない」
「うん、そうする」(127頁)

夫がパニック障害と思われる症状を発症したときも、自分の状態を逐一著者に話している。著者が通院を促したときも、夫はこう言ったという。

「精神科へ一緒に行こう。これはちゃんと薬を飲まなきゃ治らない病気なの。私がちゃんと病院を探して、予約も入れるから」
「……うん」(183頁)

著者の夫は、著者を無条件に信頼していて、著者が考えるとおりにすれば良い、それで悪いことになんかなりっこない、と確信しているのだ。
夫は自分をこんなに信頼してくれているのだというのろけとしか思えない。

このように、著者の夫婦は幸せな夫婦である。

そうであるのに、著者は、この幸せを感じ取ることができず、これをなかなか受け入れない。20年かけて受け入れるまでに、著者はとんでもない右往左往をするのだ。

いつまで母親の呪縛にとらわれているのか

本書では、著者の母親に関する記述がたくさん出てくる。

著者は、自己評価が低い原因は母親にあるのだと訴えているのだ。

母はことあるごとに私を罵った。醜い顔だ、肌は浅黒いし髪はちりちりで艶がない。目鼻もぱっとしない。(41頁)

容姿の劣等感は消えるどころか、成長とともに膨らんでいった。学校で同級生と顔を合わせることにも恐怖と恥ずかしさを覚えた。みんなも母と同じように私のことを醜いと思っているのだろう。そう考えると、顔が真っ赤になったり、どもったりして、うまく話すことができない。(43頁)

要するに、母が著者を醜いと言い続けた結果、劣等感から逃れられなくなり、その劣等感が原因で対人関係が難しくなったというのである。

この母親は、おかしい。
著者が子どもをあきらめたときも、著者の母親は、夫の両親に対してこう言ったという。

「うちの子が身体が弱いために、お宅の後継ぎを産んであげることができず、本当に申し訳ありません。うちの子は、とんだ欠陥商品でして。貧乏くじを引かせてしまい、なんとお詫びをしてよいか」(166頁)

武家かっ!」とつっこんで笑うところであるが、著者は次のようにリアクションしてしまうのだ。

夫のちんぽが入らないこと、子供を産めないこと、教師を続けられなかったこと、母に頭を下げさせてしまったこと、母を恥ずかしいと思ってしまったこと。ただ謝りたかった。(168頁)

何が起こるかではなく、どう反応するかが大切だ、と説く自己啓発本は、正しいと言わざるを得ない。
夫のちんぽが入らないのは単なる面白い話だし、子どもを産めないことも教師を辞めたこともよくある普通のことだ。母が頭を下げたことの方がおかしいし、母を恥ずかしいと思ったのは当然である。そうであるのに、著者は、これらについて「ただ謝りたい」というのだから、理解不能と言うほかない。

これは本気なんだろうか。それとも「謝る必要なんかない」と言って欲しくて書いているのだろうか。

幼少のころに母が著者を醜いと言って劣等感が膨らんだのは分かる。それで対人関係が難しくなったのも分かる。しかし、30歳を過ぎてもおかしな母親の呪縛から逃れられず、母親が夫の両親のところに行って「うちの娘が後継ぎを産めなくて申し訳ない」と謝罪するのを見て、「ただ謝りたかった」と思う、なんてことがありうるのだろうか。

これが本気だとしたら、そんなことがあるのだということを学べただけでも収穫である。そんな変な奴もいるのだ。

セックスを何だと思っているのか

タイトルのとおり、著者は夫のちんぽが入らない。
ジョンソンベビーオイルを使ってトライしたときはこの惨状である。

股の間から絶え間なく流れる鮮血とジョンソンベビーオイル無香性。(61頁)

自分だったらこのあたりで諦めるが、著者は、「夫婦はセックスしなければならない」と思い込んでいるらしく、トライを続ける。「セックスなんてしなくてもいいや」なんていう言葉はまったく出てこないし、「そもそもセックスってしなきゃダメなの?」という疑問も一切現れない。
義務を履行するようにセックスにトライするのだ。
おそらく著者にとって、セックスは、マニフェスト・ディスティニーなのだ。
夫もちんぽを血まみれにしながらトライを続ける。すごい勃起力である。

ジョンソンやメロン液でちんぽがかろうじて入ることがわかったものの、私たちは次第にセックスを回避するようになった。以前にも増して私の局部が裂け、鼻血のようにとくとくと鮮血が溢れるようになってしまったからだ。(117頁)

この時点で8割の男は脱落ではないだろうか。この状況でもなおちんぽを勃たせ、血まみれになりながらセックスにトライできる夫はすごい勃起力だと思う。

できればセックスなんてしたくない。どうしてもしなければいけないのなら知らない人がいい。(118頁)

セックスしろなんて誰も頼んでないのに、この言いぐさ。

ここまでの状況になっているのに、なんと著者は、まだセックスするのだ。

三十五歳。子をもうけることを断念してからは、年に一度、私たちは正月にだけ交わるという神聖な儀式めいた関係を結んでいた。(172頁)

何考えているんだと。セックスをなんだと思っているのか。
そして、どうして夫は勃起できるのかと。

男を何だと思っているのか

著者は、夫が風俗に行ったりAVを見たりしてることについて恨みがましく言及する。

白くてシンプルなカードだ。聞いたことのない店名である。スタンプが七個押されている。数個おきに五百円引きや指名料が無料になるマスがある。「指名」なので美容院だろうか。そんなおしゃれな店に通っていたっけ。しばらく考え、「あっ」と確信した。(69頁)

夫はそう言ったけれど、毎日ビデオデッキに卑猥なテープが差し込まれたままになっているのを私は知っていた。そのタイトルは日々変わっている。(93頁)

履歴がそのままにしてあったので、なんだろうと思い、開いてみると、とてもきらびやかな世界に繋がった。銀色の仮面を付けた下着姿の女の人が前かがみで挑発的なポーズを取っている。
「狂乳パラダイス 超敏感な爆乳」(169頁)

著者は、これも、夫のちんぽが入らない自分が悪いのだというような話に持って行く。

男を何だと思っているのか。

夫のちんぽが入ろうが入るまいが、まったく同じことが起こるに決まっているではないか。

ようやく答えにたどりつく

リウマチの薬を止め、血まみれになりながら子づくりをしていたとき、夫がこう言う。

「もうやめよう。身体をおかしくしてまで産むことなんてない。今まで通り薬を飲んだほうがいい。別に子供なんていなくてもいいじゃない。この先もふたりだけの生活でいいじゃない」(162頁)

このようにして、著者のゆがんだ行動は、ようやく、夫によってまともな方向に軌道修正される。

ちんぽが入らない人と交際して二十年が経つ。もうセックスをしなくていい。ちんぽが入るか入らないか、こだわらなくていい。子供を産もうとしなくていい。誰とも比べなくていい。張り合わなくていい。自分の好きなように生きていい。私たちは私たちの夫婦のかたちがある。(193頁)

当たり前のことである。この当たり前の答えにたどり着くのに、ここまで右往左往するのだ。

人間とは何と面倒な存在なのかと、疲労感に襲われる。とくに著者は通常人の数倍は面倒だ。

著者は超面倒で馬鹿な奴だと思うが、夫の愛情によって軌道修正できているのだろう。やはり幸せだと言わざるを得ない。

人間の面倒くささと向き合う

この本は、面倒な著者の面倒な物語であり、人間の面倒くささを改めて認識させられる本である。
人間の面倒くささを再確認したい人や、物事にどう反応するかが大事だということを再確認したい人にはおすすめの本である。