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改善したければ失敗を責めるな!あえて失敗しろ!「失敗の科学」

社会

この本は、失敗の効用についての本である。試行錯誤、トライアンドエラー、PCDAといった言葉が当てはまるような失敗と改善の繰り返しが、いかに効果的なものであるかを教えてくれる本である。翻訳者が上手なのか、翻訳本であるにも関わらず、文章がとてもわかりやすく読みやすい。

https://www.instagram.com/p/BQzaRtulzJ8/

改善するには失敗するしかない

航空業界の事故率は非常に低く、飛行機が非常に安全だというのはよく知られている。これは、失敗を隠さず、失敗に向き合い、改善する、という作業を繰り返してきた結果だという。
なにごとも、改善するには失敗するしかなく、場合によっては改善するためにわざと失敗を繰り返す必要があるという。

ビジネスや政治の世界でも,日常生活でも,基本的な仕組みは同じだ。我々が進化を遂げて成功するカギは,「失敗とどう向き合うか」にある。(17頁)

理論もへったくれもない!失敗しろ!

ホットドッグの早食い競争で驚異的な結果を出していることで有名な小林猛氏も、特別な身体的特徴があるわけではなく、単に試行錯誤を繰り返した結果、このような結果を出せるようになったという。

そこで、パンを水につけてみた。水の温度を変えたり、水の中に植物油を数滴混ぜたりもした。その間、彼は自分のトレーニングの様子を録画し、データをとり、さらに少しずつ違う方法を試した。全速力で一気に食べたり、ペース配分したり、ラストスパートをかけたりもしてみた。
さまざまな噛み方や飲み込み方、食べたものが胃に入りやすいように(そして吐かずに済むように)腰を揺らす方法も考えた。こうして小林は、小さな仮説をひとつずつ丁寧に検証していった。(234頁)

トライアンドエラーは、自然界の適者生存とも共通する法則のようだ。
ユニリーバのエピソードは、トライアンドエラーの効果を確信させてくれる。

ユニリーバは、洗濯用洗剤の製造工場で使用しているノズルがすぐに目詰まりを起こすことに悩み、一流の数学者チームに改善を依頼した。
数学者チームは、専門知識を駆使して徹底的に調べ上げ、複雑な計算式を数々導き出して、長年の研究を重ねた結果、ひとつのノズルのデザインにたどり着いた。

しかしながら、結果は失敗。
目詰まりはまったく改善しなかったという。

その後、ユニリーバは、ダメもとで、生物学者チームにノズルの改善を依頼した。
生物学者チームは、まず、目詰まりするノズルを10個用意し、それぞれにわずかな変更を加えた上で、違いをテストした。
そのなかで、わずかにではあるが一番良い結果が出たノズルを1つを採用し、これに対してまたわずかな変更を加えたものを10種類用意し、違いをテストする。
またそのなかでわずかにではあるが一番良い結果を出したノズルを採用し、これに対してさらにまたわずかな変更を加えたものを10種類用意し、違いをテストする。
これを繰り返したのだ。

こうして45世代のモデルと449回の失敗を経て、チームは「これだ!」というノズルにたどり着いた。(150頁)

最終的に出来上がったノズルは、どんな数学者も予測し得ない形をしていた。(150頁)

理論もへったくれもなく愚直にトライアンドエラーを繰り返すことによって、最適なものにたどり着くことができるのだ。
悩んでいる時間があったら直ちにトライアンドエラーを始めるべきということのようだ。

確証バイアスがトライアンドエラーを排斥する

仮説を支持する情報ばかりを集めてしまい、反証する情報を無視してしまう心理的傾向のことを、「確証バイアス」というらしい。
トライアンドエラーの効用は明らかだが、確証バイアスは、トライアンドエラーを排斥し、正解を遠ざける。
その例として挙げられているクイズの話が面白い。

このクイズは、「2、4、6」という3つの数字を見て、どのようなルールで並んでいるかを当てる、というものである。解答者は、3つの数字を言うと、それが同じルールに沿っているかどうか教えてもらうことができ、これは何度でも聞ける。

たいていの人は、「偶数が昇順に並んでいる」と思ったら、「10、12、14」が同じルールに沿っているかどうか聞く。
それが同じルールに沿っていると言われたら、今度は、「100、102、104」を聞く。
このように、同じルールに沿っていると思う3つの数字を聞いてみて、それが同じルールに沿っていると言われる、ということを何回か繰り返し、偶数が昇順に並んでいるのだという確信に至るのだ。

しかしながら、実は、ルールは、単に「数字が昇順に並んでいる」というものだったらどうか。昇順に並んだ3つの偶数をいくら聞いてみてもルールに沿っていると言われるので、正解にはたどり着かない。

このクイズに正解するには、わざと間違えるしかないそうだ。
「偶数が昇順に並んでいる」と思ったら、仮説に当てはまる「10、12、14」を聞くのではなく、仮説に当てはまらない「2、4、5」を聞く。
そうすると、これもルールに沿っていると言われるので、「偶数が昇順に並んでいる」という仮説が間違っていたことがあっという間に分かる。
「じゃあ1桁の数字が昇順に並んでいるだけなのかな」と思ったら、「10、12、14」を聞いてみる。
そうすると、これもルールに沿っていると言われるので、「1桁の数字が昇順に並んでいる」という仮説も間違っていることが分かる。
こうして、わざと間違えることによって、正解に近づいていくことができるのだ。
仮説に当てはまる数字ばかりあげていたら、いつまでも正解にたどり着けない。

進んで失敗する意志がない限り、このルールを見つけ出す可能性はまずない。…失敗をすることは、正解を導き出すのに一番手っ取り早い方法というばかりでなく、今回のように唯一の方法であることも珍しくない。(130頁)

認知的不協和が失敗を認めさせない

認知的不協和」は、自分の信念と事実とが矛盾していることによって生じる不快感やストレス状態のことだそうだ。
人は誰もが、自分は正しいと信じている。そのため、自分の信念に反する事実が出てくると、ストレス状態に陥る。

そんな状態に陥ったときの解決策はふたつだ。1つ目は,自分の信念が間違っていたと認める方法。しかしこれが難しい。理由は簡単,怖いのだ。自分は思っていたほど有能ではなかったと認めることが。
そこで出てくるのが2つ目の解決策,否定だ。事実をあるがままに受け入れず,自分に都合のいい解釈を付ける。あるいは事実を完全に無視したり,忘れたりしてしまう。そうすれば,信念を貫き通せる。ほら私は正しかった!だまされてなんかいない!(103頁)

この傾向が深刻なのが司法の世界だそうだ。
本書では、ある検事の例が紹介されている。

8歳の少女をレイプしたとして有罪判決を受けた被告人が、DNA鑑定の登場後、少女の衣服に付着していた精液のDNAと一致しないことが判明する。しかしながら、検事はこれを受け入れられず、あれこれと理屈をつけて、被告人が犯人であることを延々と主張するのだった。

記録では、この後も同じような突拍子もない主張が249ページにわたり延々と続く。
「つまり4つの可能性があるということだ」とシュルツは指摘する。
「ひとつ、8歳の少女が性的に活発だった。ふたつ、被害者の11歳の姉が性的に活発で、その際は偶然妹の下着を身に着けていた。3つ、第三者が犯行現場にいた(被害者が侵入者は1人だったと証言しているにもかかわらず)。4つ、父親が倒錯した方法で被害者の下着に精液を付けた」

 

もちろん、もうひとつ大事な可能性がある。犯人は別にいる。(111頁)

司法の世界は、失敗を活かして事実認定の正確性を向上させようなどと思っている人はほとんどいないのではないか。
みんな、どうせ真実を確実に知る方法はないとあきらめながら、そして、確証バイアスや認知的不協和に思いっきりとらわれながら、失敗などしたことがない振りをして、真実発見よりも文句を言われないことと文句を言わせないことが至上命題であると考えて事実認定しているのではないか。

ベーコンは17世紀における科学の停滞を指摘したが、現在の我々も同じ状況に直面している。ただし、今日ベーコンがもたらしたような革新が求められているのは、自然科学(物理学、化学など)よりも、社会科学(政治学、法学、経済学、社会福祉学など)の分野においてだ。(316頁)

本書では、学習しているかどうかを確認するための3つの質問が紹介されている。

あなたは判断を間違えることがありますか?
自分が間違った方向に進んでいることを知る手段はありますか?
客観的なデータを参照して、自分の判断の是非を問う機会はありますか?
すべて「いいえ」と答えた人は、ほぼ間違いなく学習していない。これは、自明の理だ。モチベーションや熱意に問題があるわけではない。問題は、暗闇でゴルフの練習をしているその「やり方」にある。(321頁)

司法の世界の住人にこれを質問したら、すべてに「いいえ」と答えるに違いない。
事実認定を間違えることなどないし、間違った方向に事実認定していったとしてもそのことを知る手段はない。客観的なデータに照らして自分の事実認定が正しかったかどうかを確認することもできない。
暗闇でゴルフの練習をするのと同じだ。
学習していないのだ。

失敗を活かすには失敗を責めない制度が必要

失敗を活かすには、単なる心がけだけでは駄目なようだ。原因は、「単純化」と「責任追及」だそうだ。

「単純化」は、どうせ結果はもう分かっている、確認する意味ないよ、というような気持ちのことらしい。

実は、「正しいかどうか試してみる」を実行に移すには大きな障壁がある。実は我々は知らないうちに、世の中を過度に単純化していることが多い。ついつい「どうせ答えはもうわかっているんだから、わざわざ試す必要もないだろう」と考えてしまうのだ。これは案外根深い問題かもしれない。(161頁)

誰もが自分は頭がいいと思っており、答えも分かっていると思っているから、確認する必要性を感じない、ということのようだ。
「責任追及」は、単純化の一種のようだ。何か間違いがあれば、だれかを悪者にして責任追及して満足する。間違いの原因など考えない。

何か間違いが起こると、人はその経緯よりも、「誰の責任か」を追求することに気を取られる傾向がある。我々は、たとえどれだけ複雑な出来事でも、新聞や雑誌の見出しのように単純化してしまうのだ。(243頁)

しかし、ビジネス、政治、航空、医療の分野のミスは、単に注意を怠ったせいではなく、複雑な要因から生まれることが多い。その場合、罰則を強化したところでミスそのものは減らない。ミスの報告を減らしてしまうだけだ。(254頁)

我々にはこういう傾向があるので、失敗を活かそうとするのであれば、心がけるだけでは足りず、航空業界のように失敗を責めず、失敗を活かす制度をつくる必要があるようだ。

人生はトライアンドエラー

このように、この本は、失敗の効用をわかりやすく説いてくれる良書である。仕事でも何でも、あれこれと悩まずにさっさとトライしてみようという気持ちにさせてくれる。

あれこれ悩んで行動できない人にお勧めである。