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作家が体験した裁判所あるある・弁護士あるあるのオンパレード 「臆病者のための裁判入門」

本書は、作家の橘玲氏が日本の一般的な少額民事裁判を体験したレポートである。
その内容は、裁判所あるある・弁護士あるあるのオンパレードである。

https://www.instagram.com/p/BR17cScFR5C/

事件の内容

著者は、知人のオーストラリア人であるトムの裁判を手助けする。
事案の概要は以下のようなものであった。

トムは、知人の新井さんのバイクを借りて運転していたところ、自動車に衝突された。
トムにケガはなく、損害は携帯品の破損など物損のみで、損害額は15万円であった。

新井さんの契約する損保会社がA損保。事故の相手方の保険会社はT海上。
A損保とT海上で示談交渉が行われていたが、なかなか話が進まない。
そこで、著者が、トムに代わって、A損保に事情を聞いてみる。

A損保の担当者である栗本の説明によると、「T海上とは過失割合8:2で合意しているが、相手方本人が非を認めず、揉めている」とのことであった。
しかし、著者が不審に思って、相手方保険会社であるT海上に直接聞いてみると、過失割合で揉めてなどおらず、事故直後に自損自弁で終了したという。

A損保の担当者である栗本がトムに嘘の説明をしていたのだ。

トムと著者は、栗本が嘘をついていたのは明らかにおかしいと主張して、慰謝料の支払を求める。
しかし、A損保担当者の栗本は、非を認めない。
栗本が非を認めないので、A損保も対応しない。
A損保は、トムに対して損害額15万円の8割である12万円はの保険金は払うが、その他には何も払えないという。

一見、理不尽に見えるA損保の対応にも理由があった。あらゆる紛争を法に基づいて解決しようとする法化社会では、ルール化されていないお金を払うには司法の判断が必要なのだ。(41頁)

ここで著者はひらめくのだ。

だがここで、私にはひとつの疑問が生まれた。世の中には私たちと同じように、少額だけれど理不尽なトラブルを抱えて困っているひとがたくさんいるはずだ。法化社会では地域のボスやヤクザに頼んで紛争を解決することはできず、「正義」の実現は司法に頼るしかない。だったら、それはどのようにして可能なのだろうか。
私のアイデアは、たんなる一市民がこの問題に対処しようとしたらどうなるのか試してみる、というものだった。(43頁)

「弁護士あるある」「裁判所あるある」のオンパレード

その後の経緯として書かれている内容は、「弁護士あるある」「裁判所あるある」のオンパレードだ。しかし、この「あるある」が利用者側の目線から冷静に記述されているものを見ることはほとんどない。
その意味でこの本は貴重な本である。

著者らは、まず、弁護士会の法律相談センターに行く。
不法行為による損害賠償請求という構成が可能だろうとのアドバイスを受ける。

もっとも、訴外で請求しても払ってくることはないので、その後の手続についてアドバイスを受けるため、法テラスの無料法律相談を受ける。
そこで、調停なら簡単にできるから調停がいいよとアドバイスを受ける。

著者らは、アドバイスに従って、東京簡裁に民事調停を申し立てる。
1回目の調停期日で、調停委員が、双方に対し、10~20万円の解決金による解決の検討を求める。
しかし、相手方は応じられないということで、2回目の調停期日で不調に終わる。

その後、訴訟を提起するために再び法テラスの相談を受ける。
その際、弁護士から、「請求金額が低すぎて弁護士は受けられない、どうしてもやりたいなら自分でやれば」と言われる。

少額訴訟が原則1回で審理を終えると知り、簡裁に少額訴訟の訴状を持って行く。
しかし、受付で、「これは少額訴訟には適さないので通常訴訟で提起してください」と言われる。

そこで、簡裁に通常訴訟の訴状を持って行く。
すると、受付で、「これは簡裁では扱えないので地裁に提訴しろ」と言われる。
事物管轄は満たしているが、内容が難しいから簡裁では扱えないというのだ。

そこで、地裁に訴状を出す。
すると、書記官から連絡があり、1週間後に裁判所に呼び出される。
そして、書記官から、「弁護士をつけろ」と言われる。
著者が、「弁護士から、引き受ける弁護士なんかいないと言われた」と説明する。
すると、裁判官と話してくださいと言われ、部長が登場する。
部長は、「簡裁への移送の上申を付けて訴状を再提出しろ」と言う。
著者が言われたとおりにすると、事件は簡裁に移送される。

ところが、簡裁での第1回目の口頭弁論期日に出頭すると、裁判官から、「本件は地裁に移送します」と言われる。
難しい事件だからどうしても簡裁では扱えないというのだ。

簡裁判事の現実を知った著者の感想はこうだ。

だが事実、簡裁判事は司法の世界の“二級市民”だった。司法試験を通っていない彼らは、裁判の実務には詳しいが、法律の条文を解釈して判決を下すことに慣れていない。「こんな複雑な事件は無理なんですよ」という自虐的な発言は、彼らにすれば当然のことだったのだ。(87頁)

そうして地裁に移送されて、最初とは別の民事部に配属になる。
すると、また書記官から呼び出され、「なぜ弁護士をつけないのか」と言われる。
同じ説明をし、何とか地裁で手続を進めてもらう。

第1回目の期日に出頭したところ、裁判官の主導で和解協議が行われる。
しかし、A損保は支払に応じないので、判決に至る。

敗訴判決だった。

著者は、敗訴はやむを得ないと理解しつつ、理由に納得できないという。
判決では、争点となっていなかった部分で不意打ちの事実認定をくらっていたのだ。
知人の弁護士に相談し、裁判所の判決の現実を知る。

「なるほど、ここで揚げ足をとられたんですね」
彼によると、判決文というのは最初に結論があって、それに合わせてつじつまを合わせていくものだという。裁判所は、つねに揚げ足をとる機会を狙っている。その隙を見せないように論証することが、弁護士の腕の見せどころなのだ。
そういわれてみれば、たしかにこの判決文はとてもよく理解できる。しかし、これでほんとうにいいのか。(109頁)

だが私たちはあまりにも素人だったので、「法律の世界では、相手が嘘をつくことを前提として行動しなくてはならない」ということにまったく気がつかなかった。(115頁)

著者は、今度は弁護士に依頼して控訴する。
そして、ここにきてついに、高裁の裁判官が、ようやく、まともなことを言うのだ。

トムの損害を賠償する義務があるのは事故の相手方なのだから、12万円を請求する相手方はA損保ではなく、T海上でしょ。だったら、A損保の担当者が何を言おうが、関係ないでしょ。

最初からあらぬ方向に進んで時間を無駄にしていたのだ。著者の目的からすれば著者にとっては無駄ではないかもしれないが。
しかし、最初の段階で専門家にきちんと頼んでよく考えてもらうことがどれだけ大事か、身に染みる。
間違った方向に苦労して進んでも、間違った場所にたどり着くだけなのだ。

高裁の裁判官は、常識力を発揮して、和解をまとめる。
A損保はそもそもトムから請求を受ける立場にはないものの、被保険者であるトムに対して不正確な説明をした責任もあるし、トムがT海上に対する請求をこれからするにしても消滅時効期間経過前に間に合うかどうか分からず、トムに損害が発生する可能性もある。そこで、A損保がトムに一定の金額を払うとの和解案を提示する。

そうして、A損保がトムに対して20万円を支払うとの和解が成立するのだ。

本書で、著者は、弁護士や裁判所をまったく責めていない。しかし、この経緯に出てくる関係した弁護士、裁判官、書記官、みんなに反省すべき点がありそうだ。

素人が法律を理解することがいかに難しいか

このような民事裁判の経験を通じた著者の考察は鋭い。

民事訴訟を扱う裁判官の大きな負担になっているのが、日本に特有の本人訴訟の多さであることは間違いない。これについては裁判所と弁護士の認識は共通で、法律的な主張を構成できないばかりか、証拠の整理すら満足にできない素人が民事裁判を混乱に陥れていると考えている。(216頁)

著者は明らかにインテリだが、そんな著者でも、著書にこんなことを書いてしまう。

トムの事故の相手方の車はマセラティで、損害額は250万円だったそうだ。
過失割合が8:2なので、トムの負担は2割の50万円となる。
だから、自損自弁にした方がトムにとっても得だった可能性がある。
しかし、トム自身がこの2割を自己負担しなくてもいいなら、話は違ってくる。

保険金を請求して相手方の損害を負担することになれば、トムはマセラティのドライバーに50万円(修理代金250万円の2割)を払わなければならない。だがこれは搭乗者傷害保険でカバーされるから、実際にはA損保が肩代わりしてくれる(トムの負担にはならない)。(99頁)

ここでいう「搭乗者傷害保険」は、どう考えても「搭乗者傷害保険」ではなく「対物賠償保険」のことだ。
著者ほどのレベルの人でも、こう書いたまま、訂正されずに出版されてしまうのだ。
新聞でもTVでも、法律を理解していない報道というのは多い。
法律というのは、なぜか分からないが、扱うのに一定の訓練が必要で、知的レベルが高ければ素人でも正確に理解できるという種類のものではないのだ。

紛争は当事者同士では解決できない

著者の考察は本当に鋭い。
特に、以下の言葉は真実を現していると思う。

紛争は当事者同士では解決できない

紛争が起きたときに、これまでは共同体による調整で解決していたことも多かったが、これが困難になった結果、もはや法による解決しか方法がなくなっているという。
法による解決の方が解決しやすいかというと、そんなことはない。

だがコンプライアンス化は無条件に素晴らしいものではなく、「共同体」から「法」へ問題解決のルールが変わったからといってトラブルが解決しやすくなったわけではない。(148頁)

そうして、本書では、法的解決の方法として、民事調停、訴訟、各種ADRなどが紹介される。

訴訟件数が増えないのは執行手続の欠陥があるから

著者は、本当に鋭い。
一般にはあまり知られていない問題点をいとも簡単に突き止める。

法テラスや少額訴訟などで司法サービスへのアクセスを改善しても訴訟件数が増えないのは、強制執行の欠陥などで判決に実効性がないことが見透かされているからだ。(214頁)

何億円の敗訴判決をくらっても、自己の財産が特定されなければ何の不都合もない。
絶対に何とかしなければならない課題である。

相談者からみた法律相談

法律相談に関する著者の感想は大変貴重だ。
一定の知的レベルにある人が、冷静な視点から、相談者の側から見た法律相談について記載しているものは、なかなか見当たらない。

ここで、利用者の立場から法律相談についての感想を述べておきたい。
弁護士ウシジマくんのように、法律家は紛争をコストパフォーマンス(費用対効果)で考えるよう訓練されている。3万円の貸金を取り立てるのに10万円の着手金を払ったのでは割に合わないから、これは当然のことだ。
しかしこのことを、相談者はおうおうにして「泣き寝入りしろ」といわれたと感じる。これが法律相談に対する不満にもつながっているのだろうが、その背景には相談者の司法に対する過大な期待がある。(157頁)

そうして、著者は、自身のエピソードを紹介する。

著者が通っている整体院が税務調査を受け、ある費用の経費性が問題となったそうだ。
その調査官の態度が大変横柄で、整体師に対し、「屁理屈なんてこねてないでさっさと追加で税金10万円払って終わりにしろ!税務署と揉めてもロクなことないぞ!」などと言い続けたという。

整体師は、お客さんの弁護士に相談したところ、弁護士は、「1日の売上が10万円なら、たった1日分の売上程度の話なんだから、そんなものはさっさと払って忘れてしまって、仕事に専念したほうがいいんじゃないの」と答えた。

しかし、その整体師は納得できない。
その整体師は、税務署とのやりとりをすべて録音しているという。

整体師から相談を受けた著者は、所轄の税務署長宛に手紙を書くよう勧めた。
整体師は、著者のアドバイスに従って、録音テープを添えて、税務署長に丁寧な抗議の手紙を送った。

するとどうなったか。

その結果、税務調査は打ち切りになってしまった(当然、追徴額を払う必要はない)。(160頁)

こういうアドバイスも大事なのかもしれない。大事なのは、目的を達成できるかどうかであり、法的手続をとるかどうかは関係ないのだ。法的なアドバイスではないとしても、それで目的を達成できる可能性があるのであれば、十分価値のあるアドバイスだ。

「お金の問題じゃないんです!」という相談者は弁護士からみれば危険だけれども、事実、お金の問題じゃないときもある。考えさせられるところである。

利用者の視点からの民事裁判

このように、本書は、著者が一市民として民事裁判を利用した体験記である。
著者は知的レベルが高く、事件に著者自身の利害関係が大きく絡んでいるわけでもなく、なおかつ、法律には素人である。そのため、利用者としての感想が、冷静で客観的に書かれており、非常に貴重な本である。
紛争を抱えて民事裁判を考えている人にも、司法関係者にも、おすすめの本である。