日本が多数の太平洋の孤島を領有する理由 「アホウドリを追った日本人」(by 平岡昭利)
日本は、国土の12倍にも及ぶ、世界第6位の広さのEEZを持っている。
これは、太平洋にあるたくさんの無人島を領有していることによるものであるが、そもそもなぜ日本はたくさんの太平洋の無人島を領有しているのか。なぜ日本人は太平洋の絶海の孤島に赴いたのか。
この本は、この疑問に関する著者の40年に及ぶ研究の結果判明した知られざるストーリーを明らかにする貴重な本である。
- アホウドリって?
- アホウドリ撲殺事業のはじまり
- 鳥島
- 南鳥島
- 大東島・沖大東島(ラサ島)
- 尖閣諸島
- ミッドウェー島も・・・日米の攻防
- 東沙島が「西澤島」に・・・日清の攻防
- 南沙諸島も
- 疑問が氷解するともに、アホウドリの名誉回復を誓う
アホウドリって?
アホウドリは、両翼を広げると2.4mにもなる、太平洋でも最大級の海鳥だそうだ。
人間を恐れず、人間が近づいていっても全然逃げない。また、飛び立つときも20~30mも滑走しなければならないため、敏速に飛び立つことができない。そのため、人間が徒歩で近づいていって簡単に捕まえてしまうことができるそうだ。
これが、この鳥が「馬鹿鳥」とか「アホウドリ」などという不名誉な名前で呼ばれる理由らしい。
アホウドリ撲殺事業のはじまり
明治維新後、日本では価値を見いだされていなかった鳥類が、ヨーロッパに持って行けば利益になるということがわかり、日本は莫大な数の鳥類をヨーロッパに輸出したという。
この時代、日本は世界屈指の「鳥類輸出大国」であった。(70頁)
ちょうどそのころ、日本は、明治9年に小笠原諸島を日本領土に再編入し、南の島々に目を向けるようになったが、太平洋の無人島は、どの島も、あたり一面に無数のアホウドリがいたらしい。
このように、「ヨーロッパでの羽毛人気」と「日本での太平洋無人島への進出」が重なった結果、太平洋の無人島に行ってアホウドリをひたすら撲殺し、羽をむしり取る、という、何とも野蛮なビッグビジネスが始まったのだ。この本では、アホウドリ撲殺事業で一攫千金を狙う動きの広がりを「バード・ラッシュ」と呼んでいる。
なお、小笠原諸島にいたアホウドリは5~6年で激減し、明治10年代後半にはほとんどいなくなってしまったという。
鳥島
ひたすら棍棒で撲殺
明治20年には、玉置半右衛門という男が、鳥島でのアホウドリ撲殺事業を始める。
当初の鳥島は、アホウドリで埋め尽くされていたという。
この間のことを玉置が書いた『鳥島滞在日誌』(「鳥島一括書類」)によると、「五日の鳥島上陸後、小船や荷物を陸揚げして、アホウドリの卵や粥で夕食をすませ、夜に島内の探査に出向くが、至る所にアホウドリが列をなして巣を作っており、その様子は千里の原野に綿を敷き詰め、万里の砂漠に雪が積もっているようである。……(略)……その数は数千万羽……」とアホウドリの数に驚いている様子が記されている。(17頁)
積もる雪のように無数のアホウドリがいたというのだからすごい。太平洋の無人島はどこもこのような調子だったのだろう。
玉置は、何人もの労働者を鳥島に投入し、アホウドリをひたすら棍棒で殴って撲殺し、羽をむしり取った。年に平均40万羽ものアホウドリを捕獲し、現在の貨幣価値にして年収10億円もの収入を手に入れたという。その結果、全国長者番付に載る有力実業家となり、帝国ホテルの向かいにアホウドリ御殿と呼ばれる大邸宅まで建てたそうだ。
アホウドリの呪い
その後、明治35年、鳥島で大噴火が起こったそうだ。
このとき、日本郵船の船が鳥島に接近したという。
急きょ同島に接近し、「絶えず汽笛を以て住民を呼べども、さらに人影および家屋を見ず、只、海底火山の噴火と山頂の黒烟を見るのみ、殊に千歳浦の如きは海岸土砂崩壊湾形全く変じ、その惨状言語に尽し難く、実に惨状を極む」と本社に通報した。(54頁)
壊滅ということだろう。噴火当時、125人が鳥島での労働に従事していたが、上陸して探索を行ったものの、遺体は全く発見されなかったという。逃げ場がなかったのだろう。オソロシイ話である。
しかし玉置は、翌年の明治36には再び鳥島に労働者を派遣し、アホウドリの撲殺事業を再開したという。
南鳥島
明治29年には、水谷新六がマーカス島に上陸し、アホウドリがいるのを確認した。そして間もなく、アホウドリの捕獲事業を開始したという。その後、明治31年にはマーカス島は「南鳥島」として日本の領土に編入された。
ここでも、今度は水谷新六が、アホウドリ撲殺事業によって莫大な利益を上げたそうである。
南鳥島の労働環境もひどかったらしく、南鳥島の出稼ぎ労働者の死亡率は何と33%、3人に1人は死んだというのだ。まさに命がけである。
我々のような北の国の人間は、「南の島」と聞くとユートピア的なリゾート地を想像してしまうが、本当は、南の島は地獄なのだろう。
大東島・沖大東島(ラサ島)
アホウドリ撲殺から製糖へ
アホウドリを求めた島へ進出が、その後、他の事業へと発展していったこともあったようだ。
沖縄の東に、北大東島、南大東島がある。明治18年に日本領土に編入された。
その開拓に、鳥島を開拓した玉置半右衛門が名乗りを上げ、開発許可を受ける。玉置は、鳥島のアホウドリが減っていたため、次なる撲殺事業の場所を探していたのだ。
ところが、玉置の期待に反して、大東島にはアホウドリはそれほど多く生息していなかった。しかし、派遣団の団長であった依岡省三は、うっそうと茂るビロウ樹を伐採してサトウキビ栽培を始め、間もなく製糖も開始し、10年後には砂糖生産の島に変貌していたという。
アホウドリからリン鉱採掘へ
また、南北大東島から南に離れたところに、ラサ島という島がある。明治33年に沖大東島として日本領土に編入された。このころには、南の島の無人島にある資源として、鳥の糞が堆積してできるリンが注目され始めていたが、沖大東島には良質のリンが大量にあることが判明した。
沖大東島のリン鉱採掘権をめぐる熾烈な権限獲得競争の後、恒藤則隆という男が権利を獲得し、「ラサ島燐鉱合資会社(後に株式会社化)」を設立してリンの採掘に乗りだしたという。採掘量は莫大で、沖大東島は、大正7年には2000人もの人が住む「ラサ島燐鉱会社」の島になったという。
尖閣諸島
尖閣諸島は明治20年に日本領土に編入されたが、明治29年に古賀辰四郎が尖閣諸島でのアホウドリ撲殺事業に乗り出し、大きな利益を得たらしい。
およそ三年間のうちに八〇万羽ものアホウドリが撲殺され、九場島では島が鳥の死骸で覆われたという。(93頁)
もっとも、4年後の明治33年ころにはアホウドリが激減してしまい、古賀は、カツオ漁業などに事業を拡大していったという。尖閣諸島における経済活動としてよく引用される魚釣島のかつお節工場は、このころのものだったのだ。
ミッドウェー島も・・・日米の攻防
バード・ラッシュとグアノ・ラッシュの衝突
日本でバード・ラッシュが起きているころ、アメリカでは、収奪的な西部開拓を行った結果、土地が消耗し続けたため、「グアノ」と呼ばれる海鳥の糞が肥料として重宝され、その価格が高騰していたという。そして、この「グアノ」を求めて、アメリカも、太平洋の島々に進出した。
そうして、日本のバード・ラッシュとアメリカのグアノ・ラッシュが、太平洋で衝突したという。
あちこちの島で発見される日本人
面白いのは、このころ、日本のアホウドリ撲殺事業家が、アメリカの領有する島にもどんどん進出していた話だ。
ミッドウェー島
明治33年、アメリカ海軍が、ミッドウェー島で6人の日本人が居住し、鳥類の羽毛採取を行っているのを発見したという。
ウェーク島
また、明治35年には、ハワイとグアムのちょうど間あたりにあるウェーク島でも、アメリカ海軍が、8人の日本人が居住しているのを発見したという。
リシアンスキー島
さらに、明治37年には、アメリカ海軍が、ハワイの西にあるリシアンスキー島で、鳥類捕獲に従事している日本人70数人を発見したという。ハワイ税関がこの日本人をホノルルに連行しようとしたところ、みな飢餓状態で逆に助けを求めてきたそうだ。
なお、この70数名のうち3分の2が日本への帰国を拒否し、ハワイで生きることを選択したそうだ。
パール・アンド・ハームズ環礁
さらに今度は、明治41年、ミッドウェー島に近いパール・アンド・ハームズ環礁で3人の日本人が救助される事件があった。アホウドリ撲殺事業家は、太平洋の島々に数人ずつ、2~3か月分の食料を携帯させて上陸させ、そこで何か月か鳥を捕獲させて、後日、回収して日本に帰る、という事業を行っていたそうである。この3人は、何と、回収されず、「置き去り」にされたのだそうだ。
どんだけ遠くの島まで行っているのかと驚くほかない。
東沙島が「西澤島」に・・・日清の攻防
台湾の南西にある東沙島では、明治40年に、西澤吉治という男が、鳥類捕獲とグアノ・リン鉱の採取を目指して上陸したそうだ。西澤は、東沙島を勝手に「西澤島」と命名し、400人以上の労働者を呼び寄せ、独自の紙幣まで発行して「西澤王国」を形成したという。
何とも豪快な話だが、ここは清の領土なので、当然清から抗議があり、明治42年には西澤島は消滅したという。
南沙諸島も
また、沖大東島(ラサ島)で燐鉱業を行っていたラサ島燐鉱会社は、大正10年にはスプラトリー諸島(南沙諸島)でもリン鉱石の採掘に着手している。
こちらについては、昭和8年になってからベトナムを植民地としていたフランスが領有権を主張してきたが、先占を理由に抗議し、昭和14年に南沙諸島を台湾高雄州に編入したという。
疑問が氷解するともに、アホウドリの名誉回復を誓う
以上のように、本書は、知られざる事実を明らかにしてくれる貴重な本である。様々な感想が頭をよぎる。
現在の我が国の広大なEEZは、無数のアホウドリの屍の上に築き上げられたものだったのだ。ひたすら撲殺されたアホウドリたちに謹んで哀悼の意を現すとともに、アホウドリに謝罪し、アホウドリに感謝し、アホウドリの名誉回復に尽力したい。アホウドリさんアホアホ言ってすみませんでした。